若い頃から三国志が好きで、沢山の小説・図解・漫画本まで揃えております。中でも柴田錬三郎の三国志「英雄ここにあり」が一番のお気に入りです。三国志は表記・内容はそれぞれですが、今回はこの「柴練三国志」を基にしております。 
通常私達が読んでいるのは「三国志演義」で、正史三国志を基にした読み物です。それだけに面白く脚色され、大変楽しく読むことがができます。
話は西暦200年頃と言いますから、我「倭国」では文字も知らず、卑弥呼が鬼道で邪馬台国を治めていた頃です。この頃広大な中国大陸を舞台に、英雄たちが縦横無尽に暴れまわる物語です。この鬱陶しいコロナの時代に、少しでも爽快感を味わって頂けたなら嬉しいです。
ちわきねむれす へやはあけ よそらせつない ひろまにて ふみえをほめぬ さんこくし えいゆうおとる ものかたり
 

後漢の末期、農村では搾取が強化され自然災害が続いておりました。その中で一種のカルト信者集団が生まれ、中国全土の民衆がこれに呼応して各地の役所などが焼き払われました。信者たちは目印に黄色い布で頭をくるんでいたので黄巾賊と呼ばれました。漢朝の力は既に衰え、取り締まる力もなく黄巾賊は略奪を繰り返しておりました。そんな中、河北省涿州の田舎にある桃園に三人の男が集い、義兄弟の契りを結びました。関朝の血をひく劉備を長兄とする関羽・張飛の三人です。三人は現状を憂えて、関朝が募集した義勇軍に応じる事になりました。三人は「生まれた時は違っても死ぬときは一緒」と固く誓い合います。いうところの「桃園の誓い」です。

 備(び)…劉備玄徳

 黄賊(きぞく)…黄巾賊

とうえんちかい むらへはる いぬやねこつれ ひもすわり さけをのみゆめ よなおしに きそくあせたえ ほろふまて              

 

では主要な登場人物の紹介から始めます。

劉備玄徳は漢の景帝の子孫ですが、家は没落して貧しい家庭に育ちました。後に朝廷に奏上し、その家系を認められます。生涯を通じて義を重んじ、その仁徳を慕い多くの有能な人材が集まりました。関羽・張飛とは義兄弟の契りを結び、諸葛亮孔明とは後に「水魚の交わり」という言葉を残します。

りゆうひかんの まつえいよ さやけきめもち むしろおる いねをわすれぬ たみへこえ あとはそらにほ せくふなて

 
 次は次兄に当たる関羽です。桃園で義兄弟の契りを結んで以来、劉備に忠誠を尽くし続けます。冷静沈着で教養もあり、その武力は天下随一とうたわれました。身長は2.2Mも有り、17Kの青龍偃月刀を自在に操ったそうです。
後世の人々にも慕われ続け、日本各地でも関帝廟が建てられ、神様として祀られています。
あにほめるひけ むねをたれ まこといちすの かんうえみ つりへいくそら いろよさえ やもせおわぬふ て
きはなし
 
 
 
次は末弟に当たる張飛です。劉備・関羽を実の兄の様に慕います。
武力は関羽に劣らないものの、短気・短慮・粗暴な性格で、蜀建国の後も重要な職務を後輩の武将に譲らざるをえなくなったりします。
張飛は蛇矛という長大な矛を振り回し、変節を繰り返す天下の豪勇武将・呂布を毛嫌いし、凄まじい一騎打ちを演じます。 
ちようひむらに おけねえと なまえしかめる あはれもの ゆみやそろわす いくさてぬ へいせんをほこ ふつたきり
 
劉備達は土地の有力者や、劉備の将来に夢を託す者の援助、兵には地域の郷士等を得て、五百名程の軍勢を作ります。
劉備軍は各地で奮戦し、その兵も数千に膨れ上がります。
劉備軍や官軍の働きで、二十余万の賊軍を擁する黄巾党の首領・張角も討たれ、「黄巾の乱」は終結します。
この戦いの中で、後の魏国に君臨する若き曹操、呉国の礎を築いた孫堅に出会います。
 
りゆうかんひも へいをえぬ よあけまつころ みすほらし ふねとやはえて ためおわる ちいさなせきに そくのむれ
 
 董卓は西涼の刺史ですが、二十万余の軍勢を率いて来たため、自然と黄巾賊討伐の大将格になります。官位を重んじる傲慢な人物で、大功が有りながら無官の劉備などは侮られ、上奏もされず無視されます。張飛などは怒りのあまり、董卓の首を刎ねようとしますが、流石に劉備と関羽に止められます。それでも劉備は周囲のとりなしで、安喜県の尉に任じられて、軍を解散し赴任します。ところが横暴な勅使を張飛が半殺しにしたため、追われて流浪の身となります。董卓はその後権勢を得て、宮中で暴虐の限りを尽くしますし、曹操も董卓暗殺に失敗し地方へ逃れます。しかし宮廷の王允の美女を使った計略にかかり、董卓は悲惨な最期を遂げます。
  刺史・・・地方官
  安喜県の尉・・・警察署長に相当 
そくをたおすも とうほえる かんいやなきは のらいぬよ みてろさけふ
ひ こえむねに まつせへあわれ ちりしゆめ 
 
時は流れ、劉備は知人を頼って小領主になったり、陶謙の徐州を譲るというのを断ったり、小波乱の生き方を繰り返し、時には止む無く曹操まで頼ったりします。劉備、雌伏の時です。
さてここで三国志には欠かせない人物が登場します。
呂布(りょふ)奉先 併州五原郡出身 最初は併州刺史・丁原に仕えていましたが、董卓の誘いに応じて丁原を殺害し、董卓に仕えました。その後王允の誘いにのり董卓を殺害、その後長安を追われますが、そこでも裏切りを繰り返します。
人中の呂布、馬中の赤兎馬と謳われる程の豪勇の人。張飛はこの人物を毛嫌いし、凄絶な一騎打ちを演じますが勝負はつかず、呂布は後に曹操に捕えられて打ち首になります。
てんをゆるかす いつきうち ひのほこやさえ なそわめく りよふたえぬも あせまみれ しろむらおねと へいはにけ
 
 董卓暗殺に失敗し、一時は地方へ逃れていた曹操ですが、董卓亡き後たちまちその能力を発揮し、ついには漢の丞相にまでなります。一方の劉備は徐州の陶謙の知己を得て、近隣の邑に逗留していましたが、曹操に追われて又も落ち延びます。劉備夫人の警護をしていた関羽は、やむなく夫人と共に投降しました。しかし曹操は関羽の忠誠心と武勇を愛し、様々の厚遇を与え自分の配下にしようとしますが、関羽の劉備に対する忠誠心は変わりません。やがて劉備の消息も分かり曹操との約束通り、劉備の元へ行こうとしますが、別れを惜しんだ曹操が、関羽の挨拶を受けようとしません。やむなく関羽は夫人と共に、五ヶ所の関を突破していきます。曹操は関羽の関所破りを咎める事をしませんでしたが、この事が後に曹操自身の命を救います。
丞相・・・総理大臣に相当 
かんのまことを そうあいす つねにわらいて ろはさけよ ひえむちへゆく せきやふり だれしもおえぬ みなほめる
 
 離れ離れになっていた劉備達でしたが、新たに趙雲を得て無事合流出来ました。そして荊州の太守・劉表の食客で小領主となっていた時に、水鏡師(司馬徽)に出会い、軍師の必要性を説かれます。そんな折、新たに単福(徐庶)と名乗る青年を軍師に登用します。徐庶は見事な戦術を駆使して、やって来た魏軍(曹操軍)を撃退します。しかし劉備の今までに無い鮮やかな勝ち方に疑問を持った曹操が、徐庶の存在を突き止めます。曹操は親孝行の徐庶を、母を使った卑劣な罠で自分の元に呼び寄せます。やむなく去る徐庶は元学友の臥竜・諸葛亮孔明を強く軍師に勧めます。劉備は徐庶の言を容れて、孔明の住む臥竜岡へ関羽・張飛を伴って二度までも訪れますが、二度とも孔明は出かけていて会えません。
つねにこたえて しよせめろ まけのやむない きくんへい ふほをとらわれ さるみちそ かりゆうおすも ひはあえぬ
 
劉備は諦めずに三度目の面会に出かけようとします。伴の関羽と張飛は、田舎の農夫に三度もこちらから会いに行く事に猛反対します。しかし劉備は無視をして出かけ、しぶしぶの関羽・張飛と共に、春の好日にようやく諸葛亮孔明に会えます。孔明は劉備に無礼を詫びて、「天下三分の計」を説きます。感銘を受けた劉備は孔明を軍師にと懇願します。一度は断った孔明ですが、劉備の熱意に応じてついに出盧を決意します。いよいよ後に「千年に一人の軍師」といわれた臥竜・諸葛亮孔明が世に出ます。しかしその陰では劉表夫人蔡氏の姪である孔明の妻が、いずれ良人が劉表一族と戦う事になるのを見越して、良人の後顧の憂いを無くすために自死します(柴錬三国志)。 
むねにわけふせ あおくつま さんこのれいて ほめたしは ひるいなきちや みすをえぬ かりゆうよとへ そらもえろ
  
いろは歌三国志  2  へ続く