[第二章巻頭歌]・・別府湾を見渡す制作場より
              ひもてりはれた へつふわん あおいやねいろ ぬけるそら
          なみきえほさえ うちのまと かすむしこくに ゆめをよせ 
 
 
歳と共に寒さにも弱くなったと、このHPでも零しておりますが、この歌は自身を鼓舞するための歌でもあります(^^)。
「納屋」と「童」で挿絵の雰囲気は出せたかなと思います。
今時の事ですから時折ですが、散歩の途中で笑顔で会釈を頂ける方もいます。
歌を作っている時に、15年間一緒に散歩を続けた愛犬「けんたろう」の事(愛犬物語)を思い出しました。
彼岸で私を待っていてくれるでしょうか(^^)。
 
なやをきたかせ ふくころの えむひとあえる さんほみち わらへそはより いぬうれし おいにもまけす ゆめつねて
    
 
前にお伝えしたとおり、「君がいる夏」を作り直しました。
ただ、予告までして作り直したにもかかわらず、私の目には、誤作品とはいえ前作を超えていない様に思えます(^^;)。
 
慣例では立秋を過ぎると、「暑中」から「残暑」に切り替えるみたいですが、今年の暑さも「残暑」にするのが、気が引ける程ですね。
 皆様、ご自愛下さい。
 
きみかいるなつ たれへゆめ ひてふうりんや そらにさえ はえよこをぬけ すむねいろ しあわせのおと ほくもまち 
  
 
やまのさんかつ こちふいて ときめくむねよ いえへはる
ひなたをすみれ せりもえぬ ゆうそらあわし おほろけに
 
 「どこかで春が」は、私達の年代なら誰でも知っている童謡ですね。作詞・作曲とも不明にして良く知りませんが、名作だと思います。
 私の作品には、「東風」が多く出て来ますが、物の本に依ると「平安朝時代に使われた大和言葉で、僅かに寒さを感じさせる東から吹く風」だそうです。菅原道真が大宰府で詠んだ和歌「東風吹かば・・」が、とても有名ですね。
 いろは歌は、「淡し」と「朧げ」が少しかぶり気味ですが、私としては割と良く出来た歌だと思います。
 
 
 
 「君がいる夏」について
 
 下記の「いろは歌第二歌集」に「君がいる夏」(いろは歌)を掲載しましたが、歌集の完成後に致命的な誤りがある事に気付きました。
 実は最初の「いろは歌集」完成後にも、根本的な誤りを見つけましたが、両方ともいわゆる後の祭りでした。
 最初の いろは歌集の作品は初期の作品で、書き写しを重ねる内に書き間違えたものと思います。
 まぁ、「魏志倭人伝」にもそういう説が有りますが、もちろんそんな大層な物では有りません(^^)。
 第二歌集の方は既にHPに誤りのお詫びを載せていますが、「素通り」を不注意ですとうり」として作ってしまいました。
 他にも小柳ルミ子さんのデビュー曲を間違えましたが、マァこちらはご愛敬として(^^)、いろは歌の方はお詫びでは「誤記念としてそのまま残します」としましたが、それとは別に好きな歌だけに作り直しました。
 いろは歌は、簡単に「」と「」を入れ替えても意味を成しませんので、「君がいる夏」は残して、全て作り替えとなりました。
 実は最初に作った歌に少し心残りが有りましたが、最後の2行に「幸せの南風(はえ)俺に吹く」としましたが、「」に対比するのはやはり「」の方がふさわしいとずっと感じていました。
 そこで今度は僕を使いましたが、最初の作品は誤作品ながら自然を上手く取り込めましたので、今回はそれを越えたか自信が有りません(^^)。
 改作は暑中見舞いに使った後、お盆過ぎにこのコーナーに発表する予定ですので、楽しみにして頂けたら嬉しいです。
 
 
 私はこのホームページを、いろは歌の新作が出来る限り続けようと思っていますが、いずれホームページの終了と共に、全てが瞬時に消えてしまいます。
 もちろん電磁的に残すことは可能ですが、私は慣れ親しんだ書籍という形で残したいと思いました。
 そこで今回「いろは歌第二歌集」として、二冊目の歌集を作りました。
 掲載した自選50篇は全てこのホームページに掲載しているものばかりです。
 折をみて「いろは歌三国志」や「雛鳳講話集」も書籍化したいと思っています。
 
 以前、互助会報の表紙に私の「いろは歌」を掲載して頂きましたが、今回「第二歌集」の紹介もして頂きました。
 思いがけない事でしたが、有難うございました。
 
 
まつはみとりに すなしろく ひわこえのよう ちるほゆれ
けせぬおもいて あめをえむ そらへたかねや いふきさん
 
旅の途中で琵琶湖の湖畔に佇んでいると、「琵琶湖周航の歌」が思い出されました。
その時「松は緑に砂白く」が字重なりでは無い事に気づき、帰ったら歌を作ろうと思いました。私には「いろは歌集」に載せた「琵琶湖周遊」(いろは歌集③) がありますが琵琶湖二作目です。なお、改めて歌本をみると「砂白く」では無く「砂白き」でした。
 
 
 
 
歌に係らず私もメールやライン位は使えますが、やはり季節の挨拶や近況を伝える時は、手紙や葉書がしっくりきます。そう感じる人も多いらしく、最近手紙を再評価する人も増えていると聞きます。私は散歩がてら郵便局で切手を買う・いろは歌の絵手紙を書く・散歩がてら出来るだけ遠くのポストに投函するのは楽しい作業です。でも加齢等の事情でそうでない人もいると思うので、負担になっては申し訳ないと思い「返信お気遣いなく」のゴム印を捺す事もあります。
ひろいちきゆう すむほしは まねくをせんふ みなめえる おいてつかえぬ このわれへ そらにあさやけ ともたより
  
財津和夫さん作詞・作曲の「サボテンの花」です。
「チューリップ」でもソロでも歌っていますが、これも名曲ですね。
TVドラマの主題曲にもなってたような・・?。(「ダイコンの花」の間違いかも)
出だしの「ほんの小さな出来事で、愛は傷ついて」を詠い込みたかったのですが、字重なりでした。なので「サボテンの花」の方にしました。
歌詞の中に「たえまなく降りそそぐこの雪のように君を愛せば良かった」と有りますが、・・・
マァ、そうですね(^^)。 
すくまちにぬれ むねをこえ ふゆそらもひえ せめるよう きみかいたあと おわりつけ さほてんのはな しろいへや
 
「襟裳岬」(旅の話4)の2作目です。この岬はとても好きな岬の一つで、旅の話でお知らせしたように、島倉千代子さんと、我が青春の吉田拓郎さんの歌碑があります。
今回、拓郎さんの曲の歌詞の一部をお借りしました。若い頃、襟裳岬とムツゴロウさんに会いに行こうと計画した時に(事情で中止)、旅行社の人から、「歌のとおり何もない所ですよ」と言われました。
挿絵は「春Ⅱ」のバックが山から海に変わっただけですね(^^)
たんろをぬくめ ふゆわすれ こやへむけひて あせおほえ なつかしいねと ちようまい えりもみさきの そらにはる
  
 
 
   諦   細   口   ど
 冬 め 眠 い え 紅 こ う  諦
 の ワ れ 身 え も ん し  め
 色 ル ぬ を 痩 避 な て  ワ
   ツ 夜 澱 せ け 日 ま  ル
         た   は す  ツ
               か 
 
とうしてますか こんなひは くちへにもさけ ええやせた
ほそいみをおり ねむれぬよ あきらめわるつ ふゆのいろ
 
   
 読売新聞の「編集手帳」を読んでいたら、長野善光寺の木像泥棒にちなんで泥舟の歌が記してありました。「欲深き人の心と降る雪は積もるにつけて道を忘るる」。
高橋泥舟は「幕末の三舟」として、海舟・鉄舟と共に名前だけは知っていました。
良い歌ですね 、私は好きです。早速、拙いいろは歌を作ってみました。
作った人が作った人ですが(^^)、 どうでしょうか 。
 
ひころのよくと ふるゆきは いまにつもりて みちわすれ せけんへうそを やめなさい あかぬおしえた ほらねえむ
 
 
 
  お知らせ ! 
 
 
 今回、大分県教職員互助会の会報(退教互)の表紙に私の「いろは歌絵手紙」を採用して頂きました。
 聞けば八千世帯に配布との事ですので、多分少なくとも一万人以上の方が、私の「いろは歌絵手紙」を目にする事と思われます。
 中を良く読まない人も(失礼)、取りあえず表紙には目を留めるでしょうから・・。
 私がもし歌集の出版や個展を開いても、友人・知人・親戚縁者を動員して百人位でしょうから(^^)、一万人という数の凄さが分かります。
 併せてこのHPの紹介もして頂きましたので、数は予測出来ませんが訪問して下さる方も増える事と思います。
 また長く教育現場に勤めていましたので、多くの友人・知人の皆さんも懐かしく思って頂けるかも知れません。
 私が「いろは歌絵手紙」を送った方々の中には、もちろん「いろは」は知っていても、それが「色は匂えど・・」の歌が元になっていて、今もそれを作っている人がいる事は知らない人(私もそうでした)もおりました。
 今回、創作現代いろは歌の事を多くの人に知って頂き、とても嬉しく思っています。
 そして「いろは歌」は中々俳句のようには気軽には作れませんが、その中の数人でも「私も作りました」という知らせを頂けたら、これに勝る喜びは有りません。
 もちろん自作のいろは歌を見て頂くのはとても嬉しいのですが、俳句の夏井先生の言い方を借りれば、中山先生から頂いたいろは歌の種を少しだけ増やして、播けたのかなと思います。
 ともあれ大分県教職員互助会の事務局の皆さま、本当に有難うございました。
 
 
ふねたひやめ はまなすちへい にしをぬけ そらのむこう    (自由律)
        とんてゆき おれ あえるつもりさ みせろよ かわいえくほ
 
 
いろは歌の四季の歌を再度思い立ちました。
過去に大人の感じる四季(いろは歌集②)を作っておりますが、今度は少年時代の四季です。
印刷してしまいましたが、カナ表記の「スイカ・トンボ」の方が良かったかも・・。
冬は春の予感、夏は「利尿作用」の予感です(^^)
 
 
はるさくらいろ やまをそめ なつよのすいか ひえてねた あきとんほにけ ちへもみし ふゆえむわれぬ こおりうせ
 
 
 
   あきのゆうひに てるやまもみし おねをつた    (自由律)
   こんとは ほそいせへちり いろさえぬ われらよくなかめ ふけすえむ 
 
 私たちの年代では、誰もが知っている文部省唱歌の「紅葉」です。作詞者は高名な
高野辰之先生で、他にも「春が来た」「故郷」「春の小川」等が有名ですね。
 最初の二行(14文字)はそのまま使う事ができ、小さな感動が有りました。
 もったいないので分解はせず自由律としました。
 終わりの二行は、山里の老人たちが「ワシら毎年こんな景色を観てるんやから長生きするよなあ」というようなイメージです(^^)
 
 
西田佐知子さんの「東京ブルース」です。
とても都会的な雰囲気のある素敵な方でしたね。
最初、代表作の一つの「アカシアの雨に打たれて」を考えましたが、「あ」が「字重なり」でどちらも外せないと思いこの歌にしました。
私は歌謡曲に想を得る事が多いのですが、名曲の多い「ときょ」や「おおさか」がルール上使えません。
なので今、余り無理のない便法を考えています。
 
つきにほえよか ゆめもうそ こいへみれんね せまるあさ わたしのならす くちふえは ひろいとおりを ぬけてやむ
  
旅の話2」で事前調査をしなかった為に、蕪島神社の観光を失敗した事を報告しましたが、行く前のイメージを挿絵にしてみました
マァ、糞だらけにならなくて良かったです。
100均でビニールカッパを買って行こうかと、思った位ですから(笑)。
歌の二行目は先の雄阿寒岳で痛めた膝をかばっているのでは無く、登山の習慣で距離を歩くときは殆ど、ストックを使っています。
幸い今のところ、足に違和感は有りません(^^)
きせんやけむる はちのへよ ゆをめさすたひ われにつえ かふしまほとり いろもえぬ うみねこないて そらあおく
 
 
ゆくてにあめよ おねをさけ やますそもえぬ えむなつの
みとりうれしき ちへいせん ほころふわらい たひはるか
イラストの女性はアニメ風にしてみました
 
 
暑中お見舞い
  申し上げます。
井上陽水さんの「少年時代」や人の背丈を超えるひまわり畑の映像を思い浮かべながら作ってみました。
迷路では有りませんが、以前伊賀の忍者屋敷にトライした時は、入った部屋から進めずに、次の人が来るのを待つという情けない目に会いました(笑)。
抜け道は引き戸は動かず、引き戸の付いた壁そのものをスライドさせるというカラクリでした。
 
くもさえきえて あおそらを ひまわりはたけ うねめいろ とんほいるのよ ふちにせへ むしかこゆれぬ なつやすみ
 
小椋佳さん作詞・作曲の「シクラメンのかほり」がイメージ歌です。
歌詞の中に「シクラメンほど清しいものは無い」と有りますが、日本語に「清しい」は無く、正しくは「清々しい」です。
この点がレコード大賞の審査会で問題になったそうです。
歌詞では良いのでしょうが、私はいろは歌ではルール違反と思っています。なので私は簡易国語辞典に載っている言葉しか使いません。もっとも「雛鳳尼講話集」は例外ですが・・・(笑)。
あさつゆそちる はにもほれ しくらめんふえ まわたいろ きみのようてす むねやなり せへこえかけぬ とおいひを
 
 
                                    (小樽運河)
 よるへないひと ほふねさり そらをゆうやけ みおえても
 むろんしあわせ めにすれは いくつかこえぬ きたのまち
 
 
 
退職後すぐに予てからの念願だった「四国遍路」の旅に出かけました。
約1200年前、弘法大師が自身の歩いた道を修行道場として、札所にしたのが始まりとされています。札所は 88か所あり、本当は歩いてみたかったのですが、とりあえず車で廻りました。途中名所旧跡・小豆島等を訪れ約2週間かかりました。中には登山の様な札所もあり、左記の様な歌も生まれました。(詳しくは「旅の話1」に)  
 
しこくへんろよ あめのひは ぬれてさらなる やまみちも おふだをむねに ゆとりわき かせうけすいえ ほそいつえ
 
 

私の熊野古道ウオーキングは何時も道の駅「熊野古道中辺路」から始まります。箸折峠・継桜王子を経て「とがの木茶屋」付近まで歩きます。この茶屋の前から熊野大社まで歩いて行けるそうですから、いつかチャレンジしたいと考えています。熊野大社の参拝は「蟻の熊野詣」と言われる様に、平安時代から貴族も含めて盛んに行われていたといいます。 詳しくは「旅の話8」に。

くまのことうよ いけはほめ つえをわすれて おねになき そろりふむせも さらぬしか へいあんみちや いえるたひ

  
今年の夏もコロナ禍で、お盆の帰省が出来なかった人も多かったでしょうね。
たしか東京都知事も「お盆に帰らないで下さい」とか言ってました。
私もコロナ禍の前は、旅で余り家に居なかったのですが、もともと小心者ですし今は家に引きこもりです(笑)。(令和3年)
つはさをひろけ あめもやみ しゆうなそらへ とんていき わすれぬまちに かえりたい むねおくよせる ふほのこえ
 
私が著書の「いろは歌集」を贈らせて頂いた方の中から、自作の「いろは歌」を寄稿して下さる方が現れました。女流詩人の矢城道子さんです。聞けば何冊か詩集を上梓されているそうで、頂いた歌を拝見すると女性らしい瑞々しい感性が感じられる作品でした。矢代さんの最初とは思えないこの作品は詩情に溢れています。一部旧仮名遣いに苦心の後も感じられます。次作品も送って頂きましたが、記念碑的な最初の作品を掲載させて頂きました。有り難うございました。お礼に拙い「柚べし」の挿絵ですが、添えさせて頂きました。
こきのほまれに そらえみて いわえあめつち やねけむり ふるさとおもひ いろはうた ゆへしぬかなす くをよせん 
 
私は40代半ばに「いろは歌」に出会いました。以来、年賀状・暑中見舞・絵手紙等にいろは歌を添えて送らせて頂きましたが「私も作りました  ! 」という便りは25年間頂けませんでした。旧知の歌人・厓霊先生(故)は「私は短歌・俳句をする知人は多いが、いろは歌を作る人は居りません。やはり難しいからでしょうね」とおっしゃっていました。やはり私が最初に感じた敷居の高さを皆さん感じている様です。もし皆さんの中で「いろは歌」を作られた方が居ましたら、このHPで紹介しますのでぜひお寄せ下さい。
 
 
加藤千笑さんは日本棋院中部総本部のプロ棋士です。私は千笑さんの囲碁に向き合う真摯な姿勢が好きで、応援の絵手紙等を送っております。ここに本人了承の上、千笑さんからのお便りの一部を紹介します。
いつも応援して頂き、有難うございます。葉書とても嬉しく拝読しています。「いろは歌」というのは今まで知らなかったのですが、素敵な歌だなと思いいつも拝見しておりました。48文字を一回ずつ使っているというのを知って益々感動しました(略)。それではいつかお会い出来るのを楽しみにしています。加藤千笑
あさやけにちえ そむころを きいんてゆめの ほしとなり うたもわすれぬ つらいひへ えかおみせよふ はるまねく 
  
 
 
「夜の花」の切ない恋を詠んでみました。
私は全く酒を飲みませんので、全くの想像です。
 
挿絵に特に深い意味は有りません(笑)。
 
  
   
ほれてみたけと よるのはな ねおんもむせひ いろをます きえちりあわへ そえぬこい うさにつふやく ゆめかしら
 
   
「ソーラン渡り鳥」はこまどり姉妹が歌っていた演歌です。
歌詞の「故郷の港偲んでも 夢も届かぬ 北国の空」に惹かれて作りました。国民栄誉賞の遠藤実さんのメロディーも流石ですね。
江差の「追分会館」にも行きました。
津軽海峡は旅行をしていても、超えると一つの大きな区切りと感じます。
 
この挿絵もとくに深い意味は有りません(笑)。 
つかるのうみを こえてきた むすめえさしに ふほおもい わせんはゆれぬ ひろいそら やねへなくとり まちよあけ
 
 
 
雨と切ない女心を詠んでみました。
ブランデーは揺らして飲むとか・・違いますかね。
この挿絵もとくに深い意味は有りません(笑)。
 
 
   
 
こいにせつなく ふるあめは そえぬみれんね かすむまち ひとりへやきわ ほろよいの ゆらしたさけを もうおえて 
 
 
伊豆の踊り子の続編ですが、今回は別れの場面の下田港です。踊り子の名は薫さんといい、下田から良く見える伊豆大島の出身です。当時一高の学生だった川端康成と伊豆街道で知り合います。
私にその様な事は全く無く、石川さゆりさんの「天城越え」の「浄蓮の滝」や、踊り子と学生の像が有る「河津七滝」を経て、早咲桜で有名な河津に着きました。
詳しくは「旅の話8」に。 
いすへゆうやけ みえたしま かわつさくらよ ひろいせに あめもふるちの はなぬれて おとりこむねを ほそきえん
  
 
  
フォークソングに千賀かおるさんの「真夜中のギター」が有りますが、その一節を使って歌を作ってみたくなりました。
「みんな孤独でつらい」とありました。
  
  
まわりさそえす やしろぬけ ゆめはせにきえ むねをふほ うちへおいてよ みんなある たれもことくの つらいひか
 
 
 
    
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