新穂高ロープウェイ (岐阜)
私は山小屋の宿泊が苦手のためアルプスの山々は憧れだけでしたが、新穂高ロープウェイはその山々を近くに見られるという事でとても楽しみにしていました。
丁度、アルプスを挟んで上高地の反対側から見る事になると思います。
前回、訪れたときは曇天で半日粘りましたが、視界は回復せず諦めて帰りました。
今回は慎重に天候を確認しましたので、大丈夫だと思っています。

これは前回諦めた時の展望台の映像です

山中なので広くは有りませんが、有料駐車場が整備されています

中々、立派な施設です

途中から直接第二ロープウェイに乗ることも出来たようです

冒頭の展望台モニターが有りますが、大丈夫のようですね(^^)

土産物売り場も充実です

二階のチケット売り場に向かいます

平日なのにたくさんの観光客ですね

いよいよゴンドラに乗り込みます

初めての場所なので、いつも以上にワクワクします
(その2)

第二ロープウェイへの乗換場所に着きました

少し歩いて乗換駅に向かいます

何やら工事中ですね

第二ロープウェイから展望台へ向かう人は、ここでチケットを買うようです

ゴンドラに乗り込みます

ゴンドラ内に素敵な絵を展示していました

大きい駐車場も整備されている第二ロープウェイ乗り場の施設です

展望台へ向かっています

第二ロープウェイの終点に着きました
(その3)

施設の中を少し歩いてメインの展望台に着きました

流石に素晴らしい眺望ですね

皆さんも感動している様子です

アルプスのランドマークとでもいうべき槍ヶ岳が見えています

小槍の姿も見えていますね

後は表示板と見比べなければ、何がなんだか分かりません(^^;)

ロープウェイのケーブルですね




眺望を堪能した後、周辺を散策出来るようですから行ってみます
(その4)

周回コースになっているようです

休憩所でしょうか

コースに沿って進んでみます

展望所が在りました

ここからも良く槍ヶ岳が見えます



ここから登山が出来るようですね

一周して戻って来ました

最初の展望台ですね


施設内の食事処で、昼食に " 飛騨牛カレー " を食べました

帰りに施設内の売店で、記念に土産物を買いました
私は別の章でも述べていますが、体力・技術はもちろんですが、山小屋伯が苦手でアルプスの山には殆ど登っていません。
ただ、田中陽希さんという方が、日本百名山・二百名山・三百名山と全行程徒歩の一筆書きで登っていますが、そのビデオを繰り返し見ています。
ですから私は日本の著名な山の様子は、かなり知ってはいると思います。
ですが " ナポリを見てから死ね " という言葉が有ると思いますが(多分)、今回アルプスを象徴する槍ヶ岳などを実際にこの目で見る事が出来て、とても満足しています。・・これでアルプスに対して思い残す事は有りません(^^)。
今治城 (愛媛)・・・後編(旅の話1)より続く)

城内に入りました

天守閣へ続く道のようですが、当然まだ閉まっていると思われます
私は天守からの景色より、天守を見上げるのが好きなので構いません

城内に神社が有るみたいです


「吹揚神社」と有りましたが、一応私も参拝しました


以前は「吹揚城」とも言ったようです

神社の前は広場になっていて、色々なモニュメントが・・


城内を出て周りを一周してみました


それにしても見事な城でした
めかりPA (福岡)
九州から本州に車で渡る時は、関門大橋を通らざるを得ませんが、橋の袂に「めかりSA」があります。
別府から丁度休憩にいい位置に有り、眺望も素晴らしいのでいつも一息入れます。
橋の下を通る船を見ていると時折、ここか尾道辺りに住んで、一日中行きかう船を見ていたら楽しいだろうなと夢想します(^^)。


土産物売場も充実しています

2Fは食事処になっています

こちらは九州側(門司)になります

向こうは本州側(下関)になります


稲佐山 (長崎)
長崎は好きな街で、今までに何度も訪れています。
稲佐山は湾を挟んで、長崎市内や港を望むことの出来る300m程の小山です。
ここから望む夜景は「新世界三大夜景」の一つだそうで、ロープウェイを使って登る事もできます。

頂上の立派な展望台ですね、早速登ってみました


集合写真用の台にも見えますが・・?

何のモニュメントだったか忘れてしまいました・・縄文の衣装のような・・

長崎市内ですね


なる程、坂の街ですね

富士山五合目
退職後、富士山登頂は果たしましたが、その後車に貼るステッカーが欲しくなり、再び富士五合目を訪れました。
冨士登山は一般的なのは7・8月なので(この時期に35万人程も登るそうです)、私が訪れたシーズン外れはガランとしていました。
車で五合目まで行くのは有料道路を通らなけれはなりません(確か往復2,000円程)。ステッカーは無事に手に入りました。
余談ですが富士山の写真を見ると、西側斜面に大きく陥没した場所が有ります。
「大沢崩れ」といい、毎日ダンプ数百台分の瓦礫が崩れ落ちているそうです。
この崩れは止まらず200年後には、富士山の頂上は二つに分かれて、「ツインピークス」になるそうです。
世界に二つと無い優美な姿を誇る富士山が割れていくわけです。
幸いというか、今生きている人は誰も見る事は出来ません。
私もその様子を空の上から、おそるおそる見ていたいと思います(^^)。


着いた時はガスっていました



わが愛車もまだステッカーが無く寂しいですね

頂上が近く見えすぎて、登山の時には本当に頂上なのか確認しました(笑)

此処だけでなく多くの土産物店が有ります

山の事なので、帰る時にはすっかり晴れていました
高野山 (和歌山)
高野山は余りにも有名な真言宗の総本山で、今までに数度訪れています。
たくさんの寺院があり一種の宗教都市のような観が有ります。
私は無宗教ですが神社仏閣の佇まいや歴史に興味が有り、全国の有名どころは殆ど廻っている様に思います。
信仰心は殆んど有りませんが一応神社仏閣を訪れると参拝し、お賽銭も奉納?します。
まぁ、道で知り合いに会えば特に尊敬はしていない方でも、挨拶をするようなものでしょうか。
それはともかく四国巡礼が終わった後、杖を高野山にお礼奉納する習慣が有ると聞きましたが、勿体ないので記念品として自宅に飾ってあります(^^)。
高野山の歴史・沿革・建物・人物・エピソードを詳しく述べたら(もちろん私は出来ませんが)このホームページ一杯の容量を使っても出来ないのではないかと思います。
なので風景写真を載せるだけになりましたが、興味のある方は是非訪れてみて下さい。
大阪中心部からのアクセスも凄く便利です。

ご覧のように一つの町を形成しています



司馬さんは空海を主人公にした小説も書いています


お墓が並んでいる長い通りも有ります

織田信長・田中角栄さんのお墓も見たような気がします


犬山城 (愛知)
犬山城は1537年に、織田信長の叔父の織田信康によって作られました。
小牧長久手の戦いでは、豊臣秀吉も入城したそうです。
現在、国宝の城は犬山城・彦根城・姫路城・松本城の四城ですが、その中でも最も古い城だそうです。
もちろん城好きの私は全て訪れていますが、やはりその辺の復元された城やコンクリート製の城とは風格が違います(^^)。
別名「白帝城」というそうですが、三国志の劉備が亡くなったのも白帝城ですが、関係はないのでしょうかね。



やはりとても風格を感じますね

天守閣からの景観です


木曽川のほとりに作られています


鵜飼いを見るための屋形船が見えています


三光稲成神社とありますが、取りあえず参拝を・・

高千穂峡 (宮崎)
熊本方面へ向かう途中、高千穂峡に寄ってみました。
高千穂町は今まで良く通り、高千穂神宮への参拝、道の駅「高千穂」に車中泊をしたことも有ります。
ですが高千穂峡は20代の頃訪れて以来で、ボートに乗った記憶が有る位です。
殆ど初めて訪れた気分です。

本場の神話の郷で見所が多そうです

散策好きの私ですが、今回は散策はしませんでした



チョウザメを飼ってる池のようです

何故ここに❔と思いましたが後で調べてみると、「古代魚」・「かっては日本にもいた」とありました。・・なるほど

一番の見どころだと思います

グラビア等でも良く見ますが、昔ここでボートに乗った思い出があります

遊歩道は良く整備されています



洪水の影響とかで、ボートは営業休止中でした
今回、十分な時間が有りませんでしたが、見所も多く
爽快な気分になれる場所でした。
岩木山の遭難 (前編)
私は若い頃から登山に親しみ、退職後も日本百名山を中心に登山を続けてきました。
そして令和元年の5月15日に、青森県の日本百名山・岩木山の登頂を試みました。
そこで恥ずかしい体験をしましたが、余りに面目なくて公にはしていませんでした。
ですが昨年秋にかって私と同業だった方が、退職後大分県内の登山中に遭難して、亡くなられたというニュースに接しました。
同じ登山を趣味とする友人達とも話題になりましたが、私も他人事とは思えず私の岩木山での恥ずかしい体験も、登山をする方に少しでも参考になるのでは無いかと思い、ここに掲載することにしました。
特に記録をとっていた訳でもなく、記憶に頼っているだけですが、出来るだけ有りのままをお伝えしようと思います。
私は令和元年の5月6日に本州・四国の百名山を出来るだけ多く登ろうと自宅を出発しました。
日本海側を北上してまず鳥取県の大山に登りました。
大山は頂上近くの登山路に少し雪が残る位で、無事に登頂出来ました。
次に山形県の月山に行き湯殿山の登山口から登ろうとしましたが、車道入口の係員から雪で無理と言われ登頂を断念しました。
次の予定の鳥海山は麓から眺めただけで、夏装備の私には無理だと分かりました。
次は青森県の岩木山ですが、更に北に位置するので不安になり、然るべき所に電話で問い合わせたところ、「登れます」という回答でした。
そこで前日は例によって「道の駅」に車中泊をして、早朝に獄温泉の登山口に着きました。
「ビジターセンター」? と思える所に車を留めて、早速登山を開始しました。
実は岩木山には八合目位まで車道が通じております。
ですが流石に八合目までバスで行けば、登頂の達成感は無かろうと思い、いつもの通り自分の足で登る事にします。
天気予報では当日は晴れです。
(中編)
岩木山は初めての山ですが、登山を開始して最初の内は、所々登山道に雪解け水が流れている位で登山に支障は有りませんでした。
ところが登るにつれて雪が多くなり、だんだん登山道が不明確になってきました。
雪は締まっていて、残っている登山者の足跡もはっきりしません。
道も次第に入り組んできて、通ることの出来る道幅が30m位あったりもして、もう登山道は分からなくなってしまいました。
それでも大方の見当をつけて登り続けましたが、それまでは林の中を歩いている感じでしたが、ある地点で前方が開けてきました。
山の尾根らしきものが見えましたが、雪は更に深くなり登山靴が埋もれてしまう程になりました。
夏装備の私はこれ以上は無理と判断して、そこで昼食を摂り引き返すことにしました。
時刻は11時前後だったろうと思います。
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ですからこの辺までは、登山道に戻れていたと思われます。
ところが又、道が分からなくなってしまいました。
分からなくなった場所には雪解け水が、ごく小さな小川となって流れていました。
それを見た私は、この流れを伝って行けば里の集落に行きつくのではないかと考えてしまいました。
自分が登ってきた道ですから、良く探せは見つかると思いますが、そんな事を考えたのは、登頂出来なかったという気落ちと、慣れない雪で精神的にも疲れていたのであろうと思います。
しばらく小川沿いに下りましたが、谷は段々と深くなり下りられなくなりました。
仕方なく右側の2~3mの崖を登りましたが、そこは谷間のような少し開けた場所でした。
ただ棘の有る小木に囲まれていて、山刀などは持って無い私は苦労してそこを抜け、谷間の中央に出ました。
そこに里に通じるような道は見えず、40~50m登れば小さな峰が有るのでそこに登って地形の確認をしようと考えました。
とにかくしばらく休憩をしようと、リュックもおろして座り込みました。
時刻は多分13時頃で開けた場所のせいか雪は無く、天候は晴れていました。
体力は7~8割消耗した感じでしたが、とにかく登山で道を見失ったのは初めてなので不安感が強く、最悪山中で一夜を過ごすかも知れないと思いました。
5月の岩木山の夜間の気温など分かりませんが、晴れていたので放射冷却などで一層冷えるかも知れないと、夏装備の私は益々不安感が強くなりました。
そんな中、ふと携帯(当時はガラケー)を取り出して見ました。
それまで私は登山では携帯は不通と決め込んで、携帯を見る事も無く、又その必要も有りませんでした。
ところが電源を入れてみると、アンテナが2~3本立っているでは有りませんか ! 。
それを見た私はそれまで張りつめていた気持ちが一気に緩み、急に依存心が湧き出てきました。
少し躊躇しましたが、指が110を押していました。
するとすぐ係りの人が出たので、岩木山で遭難したこと、怪我はない事、道さえ分かれば自力でも下りれること、獄温泉から登ったこと等を伝えました。
係りの人は尚詳しく、私の服装や帽子の色・形、リュックの色などを尋ねました。
私は懸命に答えたのですが、やはり軽いパニックになっていたらしく、喋り過ぎて係の人に「話を聞いて下さい」と注意を受けました。
最後にそこを動かないようにと言われて携帯を切りましたが、警察が動いてくれるなら最悪でも死ぬ事は無いだろうと、安堵感で力が抜けてしまいました。
それでも警察が地元の山に詳しい人に依頼して、5~6人位の救助チームで私を探しに来るのだろうから、どんなに早くても2時間はかかるだろうなぁと思いました。
山の合間から僅かに見える津軽平野を見ながら、「助かった」という安堵感で呆然としておりました。
それから「いやに帽子の色や形を詳しく聞いていたなぁ」と思い返していました。
(後編)
そして110番に救助を求めてから20~30分後だったと思いますが、爆音が近づいて来て晴れた空をヘリコプターが私の頭上を通り過ぎました。
私は最初は「ん?」と思いましたが、もしかしたら救助ヘリかも知れないと思いました。
大変なことになったという思いと同時に、北アルプスで遭難した人を家族が民間ヘリをチャーターして、数百万円の料金を支払ったという記事を思い出しました。
救助ヘリなら警察だから法外な請求はしないだろうけど、百万円までなら黙って払おうと思いました。
こんな時に何だ ! と思われるかも知れませんが、携帯が警察に通じた時から「助かった ! 」という思いで、気持ちに少し余裕が出来ていたのだと思います。「お前の命は百万円か ! 」と突っ込まれそうですが・・(^^)
ヘリコプターはすぐ引き返して来て、私の頭上はるかにホバリングをしました。
すぐに機動隊のような装備の救助隊員がワイヤーロープで降りてきて、私の氏名を確認しました。
続いてバケットシートのような物が降りてきて、私に乗るように指示されました。
私は凄い風圧と埃や、ワイヤー一本で数十m釣り上げられる自分を見る気にもなれず、目をつぶっていました。
もちろんヘリコプターに乗るのなど人生で初めてですが、良く見るヘッドホンも納得の物凄い騒音でした。
私のリュックは隊員の方が持って上がってくれました。
無事に機内に移った私を乗せたヘリは、しばらくして山麓のゴルフ場の駐車場に降りました。
そこには駐在さんらしい人が二人と、パトカーが待っていました。
今度はパトカーに乗せられ、車を留めてあるビジターセンターに連れていかれました。
そこで改めて住所・氏名・登山経験・装備・登山届(私は羆を恐れた羅臼岳以外は、届をしていませんでした)などの質問を受けました。
とくに叱責を受ける事も無く、親切に対応して頂きました。
ですが「登山の前後に家族に連絡はしていない」と答えると「我々は見慣れない車が何日も放置している、という事になってから初めて山の捜索を始めるので、手遅れになり兼ねない」と注意されました。
ごもっともなので、黙って頭を下げました。
最後に私がおそるおそる「あの、費用弁償のほうは・・」と尋ねると、「青森県警はとっておりません」と笑顔で答えました。(ホッ、(^^))
後日ネットで調べてみると、県警によっては5~6万円の燃料代を請求する所もあるようです。
とにかく何度もお礼を言って別れ、その後も百名山を登る旅を続けました。
マァ、懲りないというか、これでもう登山を止めようとは一瞬も思いませんでした。
しかし次に予定していた八甲田山は、新田次郎の「八甲田山・死の彷徨」や、映画「八甲田山」の舞台なので、ビビッてパスしました。
その後、南下して四国に渡り無事に百名山9座に登頂し帰宅しました。
今度の遭難の原因は、慣れない雪道で登山道を見失った事、安易に小川に沿って下山しようとした事、岩木山が初めてだった事だと思います。
たとえ同じ状況でも登り慣れた由布岳などであれば、無事に下山出来たと思います。
良く山で遭難したら下りるのではなく、上に登るようにといわれますが、今回は雪で無理でした。
命綱となった携帯はスマホに変えましたが、北海道の雄阿寒岳で位置情報の状況を確認しました。
私のスマホでは雄阿寒岳の登山道は表示されませんでしたが、現在地は終始表示出来ました。(登山道も表示出来る山用のアプリも有る様です)
岩木山そのものはとても良い山で、その年の秋に登頂しましたが、同じ登山道は小学生でも間違えようのないはっきりした道でした。
私は岩木山を正面に見て、登山道の右に迷い込んだと思っていましたが、警察の話によると、左に迷い込んでいたそうです。
そして救助された地点から数百m左に八合目に登る自動車道が通じっていたそうです。
今でも時折、携帯が通じなかったら(帰宅したあと、ガラケーを通じ易いかも知れないスマホに変えました)、岩木山で一晩を過ごす事になったら、救出された地点の小さな尾根から自動車道を確認出来なかったらと思う事があります。
終わった事を「たら・れば」を言っても仕方ありませんが、怪我や病気で入院した事のない私が、一番死に近づいた瞬間だったろうと思います。
その年の秋に北海道に渡る際に弘前警察署を訪れ、改めてお詫びとお礼を申し上げました。
青森県警の航空隊・弘前警察署の皆さん、有難うございました。
今回、自戒と共に少しでも登山する人の参考になればと思い掲載を
しました。
龍頭山 (りゅうずやま・広島)
広島県の山間部に道の駅「豊平どんぐり村」が有ります。
温泉を含めた沢山の施設が有り、敷地も広く夏は涼しいので、私のお気に入りの道の駅のひとつです。
龍頭山は温泉の湯船からも良く見える、おむすびのような千mにも満たない山です。
登山道も良く整備されているようで、以前からいつか登ろうと思っていました。
雄阿寒岳や那須岳で自信を喪失した私も、ここなら大丈夫だろうと事務所でパンフレットを貰いました。
なんと林道を利用すれば、八合目位まで車で行けるようです。
流石にそれはあんまりなので、道の駅から歩く事にしました。

「道の駅」の温泉施設と食事処などです

この山に登ります

車は道の駅の駐車場におきます


集落の間を抜けて登山道へ向かいます

熊も出ますか !

途中の展望所からの景色です


車を停めている道の駅が見えます

少し息が弾みましたが、無事頂上に

頂上には他にも登山者がおり、休憩所も設けられておりました

下山を始めましたが、着地の膝の負担を軽くしようと、県道沿いに降りて30分程の道路を歩くコースにしました。
ところが履き慣れた登山靴ですが、つま先が痛くなってきました。
今まで経験したことは無く、県道に降りた時は歩くのが大変になっていました。
ですが運よく程なくして路線バスが来たので、道の駅まで乗りました。
こんな事も始めてで、本当に今後の登山をどうするか考えざるを得ませんでした。
ともあれ温泉で疲れをいやし、あとはもう家に帰るだけです。
蕪島神社 (青森)
以前、テレビ番組で見かけたウミネコが集まる神社が有るというのを知って訪れてみました(八戸市・10月の事)。
例によって情報を良く調べもせずに、何となくヒチコックの「鳥」をイメージして、ウミネコの糞が降りかかったらカナワンなぁと思っていました(笑)。
ところが訪問は午前中のことでしたが、観光客やウミネコは全く居ませんでした。
少なからずガッカリしましたが、案内板等を読むとウミネコが集まるのは繁殖期だけの様です。
ウミネコは拍子抜けしましたが、蕪島神社は中々素敵な神社でした。
地方の神社は山を背景にしていることが多いですが、この神社は海を背景にして晴天とも相まってとても良かったです。










一見、館にも見えいいですね

柳川 (福岡)
私が柳川と聞いてまず思い浮かぶのは、川下り(お堀巡り)とドジョウ鍋です。
ドジョウ鍋は小骨が有りそうで(良くは知りませんが・・)、川下りだけを体験して来ました。
途中船頭さんが唄を歌ってくれたような記憶があります。







白魚を獲る網ではないかと・・・


[御花・松濤園] 旧柳川藩主立花家の別邸で、資料館・料亭旅館と
なっています


洋室も有ったんですね

北原白秋先生の生家が記念館となっていました。柳川の造り酒屋に生まれ、数々の名作を送りだした詩人です。漱石先生もそうですが、作品だけではなくご本人にも何とも言えぬ雰囲気が有って私は好きです。

箱根 (静岡)
[芦ノ湖]
芦ノ湖の遊覧船には乗っておりませんが、湖畔に「夕霧荘」という旅館があります。
たまたま立ち寄り湯で温泉に入ったのですが、建物も温泉も日本情緒に溢れたとても素敵な旅館で、名前入りのタオルも貰えました。
いつかお金を貯めて(^^)泊まろうと思っていましたが、今回ネットで見ると閉館になっていました。 ・・・残念です。

早朝の芦ノ湖です

[大涌谷]
大涌谷は名前だけは知っていましたが、訪れたのは初めてです。
テレビの旅番組などで「黒たまご」も知っていましたので、取りあえず食べる事にしました。
普通のたまごですが温泉成分の化学作用で、たまごの殻が黒く変色します(中は普通です)。
5個500円で1個食べると寿命が7年延びるそうですが、結局全部食べましたので35年寿命が延びた事になります。とても嬉しいです(^^)。


大勢の人ですが、まだマスクの要らない頃です


[箱根大天狗神社]
この神社は全く知りませんでしたが、車で通りががった時、派手な色が目についたので取りあえず参拝しました。




馬籠宿 (岐阜)
[ 令和の旅 ]

「中山道馬籠宿」という文字を見ると旅情が増します・・

馬篭宿の入り口にあたります






郵便局もそれらしい佇まいにしてあります

有名な島崎藤村の記念館です

馬籠宿・・・平成の記述
馬籠宿は中仙道の宿場町で町全体が坂道になっています。
残念なことに大火に会い、殆どの建物を立て直しているとの事です。
有名な「島崎藤村」誕生の地で記念館も有ります。
いろは歌では名酒が有るような事を詠んでいますが、確認して
おりません(笑)。
お勧めは馬籠~妻籠~南木曽(なぎそ)駅の中山道ウオーキングです。
馬籠宿の案内所で南木曽駅のバスの時刻表が分かります。
馬籠宿からのコースは少し上ると後は下り坂になっており、途中風情有る建物や茶店・熊注意の看板や鐘が有り楽しめます。
外人さんの姿も多く「妻籠宿」から登って来た韓国人らしき人の所要時間を尋ねる英語が聞き取れないで居ると、スマホで「馬籠宿」と表示してくれました(汗)。
帰りは南木曽駅からバスで馬籠宿まで戻りますが、可愛い女性運転手さんが軒先がぶつかりそうな狭い道をかなりなスピードで走り抜けるのも楽しめました(笑)。
今回もお薦めのウォーキングをする予定でしたが、あいにくの小雨で中止しました。
後日、そのコース風景を掲載できたらと思っています。
妻籠宿 (岐阜)・・・平成の記述
妻籠宿は本陣だった建物等があり、いかにも宿場町らしい風情が有ります。
そのせいかテレビ等で良く映像を見かけますが、その度に懐かしく思い出します。
馬籠宿からのウオーキングの時はここで昼食を摂ります。
名物の五平餅は色々な種類のタレが有るようですが、何れも中々美味しいです。
[ 令和の旅 ]

ここは500円の駐車料金が必要です

お薦めのウォーキングコースの途中になります






旅籠でも低料金の宿泊所に思えます


食事処もそれらしい雰囲気を出しています

いつも蕎麦と五平餅のセットです(^^)
奈良井宿(長野)・・・平成の記述
奈良井宿は「奈良井千軒」と言われた大きな宿場町です。
建物を観て此処に実際に江戸時代の旅人か泊まったのかと思うと不思議な感慨が湧きます。
今も実際に宿泊が出来る宿も有るので、いつかお金を貯めて泊まってみたいと思っています(笑)。そう高いとは思えないけど・・・。
町並みを歩いていると「パッチワーク講習会・三浦百恵さん」というポスターを見かけました。
パッチワークなどしたくありませんが、百恵ちゃんが講師ならやっても良いです(^^)。
[ 令和の旅 ]

道の駅の国道沿い駐車場、通常の駐車場は500円です

岩国の錦帯橋(旅の話4)を思い出しますが、やはり歩きにくい・・

この線路を渡れば、町並みに入ります







前二宿と比べてやはりここが一番規模が大きいです
近くに道の駅も有ります
出雲大社 (島根)
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道の駅近くに有るレリーフです。・・国引き神話ですね


例によって早朝なので、人影はまばらです

お馴染の写真ですが、ここは本殿では無く拝殿です

「八足門」でここから本殿を参拝します

本殿の裏手に回ってみました


主祭神の大国主大神です


今回は入りませんでしたが、近くに古代出雲歴史博物館があります。そこには驚いた事に古代出雲大社本殿が、高さが50mもあったといい(一説には100m)その物証も発掘されています。50mというのは17階立てのビル相当という事ですが、古代人の作った50mの木造建築には登りたくは有りません(笑)。しかし驚愕の話ですね。
北国の春
どこからが北国なのか判然としませんが、信州以北の春を
拾ってみました。

3月31日 信濃川 (新潟県十日町市)・・・信州では千曲川です

4月2日 佐渡 (新潟県)・・・後日、佐渡の報告をします (旅の話3)

4月7日 十和田山中 (秋田県)

4月7日 奥入瀬 (秋田県)

4月8日 七戸町 (青森県)・・・Uターンの朝

4月8日 花巻市東和町 (岩手県)・・・北国の春の空

4月8日 花巻市東和町 (岩手県)

4月15日 小淵沢 (山梨県)

4月16日 小淵沢 (山梨県)

4月16日 長和町 (長野県)

4月16日 長和町 (長野県) ・・桜満開ですね

4月17日 妻籠宿 (長野県)
桜前線とは信州辺りで交差したようです
羽黒山・前編 (山形)
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登山口ともいうべき入口です


もちろん芭蕉さんも訪れています


国宝の五重塔です

湿気の多い杉林の中なので、保存は大変だろうと思います

後は2446段ある石段をひたすら上がります。途中、腰の曲がったお婆さんが元気に登っていました。
途中に茶店らしきものが有りましたが、閉鎖されておりました・・・後編へ続く
羽黒山・後編 (秋田)

長い階段を登りようやく出羽三山神社に着きました







よく分かりませんが、珍しそうなので・・・

本堂内部

これで出羽三山のうち羽黒山・月山はお参り出来ましたが、湯殿山は
麓まで行きましたが、雪のためまだお参りできておりません。
十津川村 (奈良)・・・予告編
十津川村は奈良県の最南端にあるとても広い村です。
秘境と言って良いほどの山中にあります。
その名前は明治維新期に一時出て来ますが、わたし的には何といっても、西村京太郎の「十津川警部シリーズ」でお馴染です。
西村さんは小説の主人公の名前を考える時に、地図から拾い上げたそうです。
是非訪れてみたいと和歌山に居た私はそのまま、ど山中を北上しましたが、親戚の訃報連絡が入り急遽帰宅する事になりました。
やむなく道の駅「十津川郷」に立ち寄っただけで、通過してしまいました。
普通山中の車中泊は余りぞっとしないのですが、道の駅から警察署が見えて安心感が有ります(笑)。
温泉などもあり是非また再訪の積りです。
今回は帰路の途中に見えた「谷瀬の吊橋」の写真を貼付しておきますが、残念ながら渡ってはおりません。
何時の日か詳しいご報告ができたらと思っています。



納沙布岬 (北海道)
根室市にある納沙布岬には2回訪れています。
4キロ程先にはもう歯舞群島が見えて、北方領土がとても身近に感じられる岬で公園となっています。
中には北方領土に関連する施設やモニュメント、土産物店などが有り、私も返還要求書に署名してきました。
昨今の国際状況を見ますと無力感も漂いますが、粘り強く続けなければいけない事だと思います。
近くへ来た時はいつも道の駅「スワン44ねむろ」に泊まりますが、夏場は朝の4時頃から明るくなり驚きます(笑)。


この施設で返還要求の署名をしました


登りませんでしたが、北方領土をよく見るためのタワーのようです

沢山のモニュメントが有ります



北海道では一番北方領土返還の熱意を感じました

ミステリー (旅のエッセイ)
車中泊の旅をしている時は、朝夜明けと共に次の目的地に向けて出発します。
それから今やどこにでも有るコンビニに寄って、朝食なので軽くコーヒーとサンドイッチか豚まんを一つ買います。
私にはコンビニの100円コーヒーでも、十分美味しく感じられます。
それから理想をいえば、海か川か湖が眺められる駐車場所を探します。
そこで食事をして、車に常備のポリタンクの水で歯を磨き簡単に洗面をしますが、道の駅のトイレよりはるかに快適です。
ある時島根の山中だったと思いますが、湖のそばにとても良い駐車場を見つけました。
湖に朝靄が立ち込めとても幻想的で、近くに今どき珍しい公衆電話ボックスが有りました。
何気なく中を見ると電話機の上に紙袋が置いて有りました。
気になって中に入り紙袋を開いてみると、未使用の女性下着と数個の安全用品が入っていました。
慌てて元に戻し電話ボックスを離れましたが、せっかくの朝靄の湖も興醒めです(笑)。
近くに人家は有りませんし、どうしたらこういうシチェーションが出来るのだろうと不思議に思いました。
私はたくさんの推理小説を読んでいますがよく分かりません。
次元の低いミステリーで恐縮ですが(笑)、マァ長い間の旅には色々な事があります。
安芸の宮島 (広島)
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余りにも有名な大鳥居ですね・・干潮時には歩いて近づけます











涅槃像っていうんですかね




朱色のせいか、とても派手な印象でした

フェリーの船着場
富良野 (北海道) ・・「北の国から」
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最後の家でしたかね
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[その後]
私は北海道が好きで、車中泊だけで6回来ています。
春夏秋と旅するうちに冬を体験したくなり、二年間程住んでみようかと思い富良野市役所を訪ねました。
住むのであればアパートなどでは無く、民家に住んでみたいと思ったからです。
ですが当時は空家斡旋みたいな制度は無かったのか、就農希望でも無いので、私への対応は素っ気ないものでした(笑)。
その後こちらの都合で移住が無理になりましたが、今でも実際住んでみたらどうだったんだろうと思う事が有ります。
BS放送などで放映されている、「日本三百名山」を全て歩いて踏破した田中陽希さんという方がいます。
田中さんのお父さんは、横浜に住んでいましたが「北の国から」を見て田中さんが子供の頃、富良野に引っ越したそうですが凄い実行力ですね。
実は私は田中さんのファンでもあるので、住まいであるログハウスを見に行った事が有ります。
ご迷惑をかけてはと思い、遠くから見させてもらいました。
石鎚山 (四国)
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天気も快晴です
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分岐点
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途中、三つの鎖場が有ります。一般登山者も登れます
修行用の物ですから勿論私は設置の階段で回り道をします(笑)
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やがて頂上と思える場所に着くと、「石鎚頂上社」が現れます
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ここからも絶景が望めます
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ここが頂上かと思ったら、所がここは頂上では無く、最高峰は200M程先に見える
天狗岳です。一旦少し降りてとても狭い、ロープも柵も無い細い尾根を渡ります
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見るからにヤバそうな頂上です。まだ若かった私は(笑)、それまで目指して登れなかった頂上は無かったので、当然尾根を目指しました
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両側の谷を覗くと「どっちに落ちても死ぬなぁ」と思いました。おそるおそる渡ると更に危なそうな岩場が有り、何故か男性が端に立っていました。急な谷風が吹いたら間違い無く転落しそうです。それを見た途端、私は急に怖くなって引き返しました
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もとより小心者ですが、天狗岳から戻って来たオバちゃんに頂上まで行ったか聞いたら「あそこに行かなきゃ、意味無いわよ」と言われました(涙)
ともかく無事生存下山。「無事之名馬」。二回目の登山は、最初から天狗岳に行く
気力も有りませんでした(笑)
小樽 (北海道)
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人気の観光地で、観光客が一杯でした
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素敵な観光客(笑)と観光船 ?
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二月に家族と訪れた小樽運河
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私は観た事はないのですが、「西部警察」で使われた車 ? のようです
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お馴染のスターもいます
大内宿 (福島)
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大内宿は江戸時代に、会津西街道の宿場町として栄えました
山あいにひっそりとたたずむ集落です
大火事に会って無いと言うことで茅葺屋根の町並みが続き、
とても雰囲気の有るところで、何回か訪れています
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道脇の清流で飲み物を冷していたりと、風情が有ります。イナゴの佃煮が有ったので話の種にと買って帰ったら普通に美味しかったです(笑)
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大内宿全景
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ある家の内部(名前を忘れてしまいました 笑 )
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小豆島 (香川県)
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「寒霞渓」の絶景
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「二十四の瞳」の像
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分教場の校舎
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分教場の外観 青空に日の丸が映えますね
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「岬の分教場」と言うだけあって海のすぐ近くです
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[ 余談 ]
宿泊は道の駅に泊まる予定でしたので、大きめのホテルの「日帰り入浴」に入ることにしました。
風呂は展望風呂で、平日の昼間の浴場は貸切状態です。
穏やかな瀬戸内の絶景を堪能した後、サウナに入りました。
すると突然5、6人の揃って短髪で、背中に絵が描いてあるお兄さん達がサウナに入って来ました。
もちろん私は何でも無い顔をして汗が出てくるのを待ちましたが、出たのは多分冷や汗だと思います。
普段はサウナと冷水浴を繰り返すのですが、体も洗わず展望風呂を後にしました(笑)。
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