平泉 (岩手)・・・令和の旅
 
 岩手県の平泉にやって来ましたが、訪問は2回目です(初回はこのコーナーの後半に有ります)。
 平泉は言うまでも無く藤原三代の眠る地で、世界遺産に認定されています。
 前回は目玉の「金色堂」内部の写真が撮れず、今回再度訪れましたが、今回は訪問が早すぎて開館時間前でした。
 今思えば、平泉町の散策コースもあるようなので、ゆっくり時間をかけて歩けば良かったと少し後悔です。
 北海道と違い、「何時でも来れる」感があるので、ついその時の気分で観光をしてしまいます。
 それからお断りですが、実際に歩いている時はそれなりに理解しながら歩いたのですが、お堂等が多すぎて今写真を見ると、何が何だか分からなくなってしまいました(笑)。
 とても雰囲気の有る所ですから、皆さまも是非訪問をお勧めします。
 
  町営駐車場もまだ無人でしたが、車を停める事は出来ました(後で400円の徴収)
   前回はこの店で椀子蕎麦を食べました。
 
これだけのお堂などが有ります
 
軽い坂道から参道が始まります
 
早朝のこともあり、静寂な参道を登り続けます
 
かなり登って来ているようですね
 
「不動堂」とあります
 
最初の訪問に続き、またも外観のみの金色堂になりました
 
もう何だったか分かりません(^^)
 
出来ればここは入って見たかったです
 
 
 
実は煩悩の輩は大沢桃子さんのポスターに気を取られ
         中尊寺本堂前を通り過ぎてしまいました(笑)
 
    参道を上り詰めましたが、この奥に「能舞台」・「西物見」・
   「かんざん亭」(食事処)等があるそうですが、左に曲がってしまいました。
    その後、中尊寺を通り過ぎた事に気付きます
 
少し回り道をして中尊寺本堂に戻ってきました
 
ここで初めて正式の参拝をしました
 
 
 
 
   国見ケ丘 (宮崎) 
 
 国見ケ丘とは神武天皇の孫・建磐龍命(たていわたつのみこと)が、九州統治の際に立ち寄って、国見をされた伝説の丘・・だそうです(笑)。
 まったく知りませんでしたが、景色が良さそうなので来てみました。
 標高は513mなのに、阿蘇五岳・祖母山・高千穂盆地・五ヶ瀬川が見えるそうです。
 
駐車場は良く整備されています
 
 
 
 
 
 
 
改めて高千穂の山中を実感しますね 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
石像から見た風景です
 
 由緒などは良く分かりませんが、秋の絶景は楽しめました(^^)
 
 
 
 
  道の駅「潮彩市場防府」(山口)
 
 瀬戸内周遊の途中で、名前に惹かれてやって来ました。
 初めての道の駅です。
 
 
 
屋根の形は波をイメージしているんですかね 
 
 こちら物産館です
 
 こちらで海鮮丼と焼鯖を買いました (共に500円 ! )
 
 
 
施設の横はもう海です
 
右端に愛車が見えています
 
隣は広い公園になっていました
 
鯛かと思ったらメバルのようです(^^)
 
 施設もいろいろ充実していて、家族連れにはとても良さそうです。 
 
  
 
 
  防府天満宮 (山口)
 
 防府天満宮は平安時代に建立された、日本で最初の天神様だそうです。
 菅原道真公を等を祀っており、大宰府天満宮・北野天満宮と共に日本三大天満宮との事です。
 私は名前だけ知っていた程度ですので、訪れてみました。
 北野天満宮はまだ訪れていませんが、防府天満宮は大宰府天満宮よりは少し敷地の規模が小さいように思えました。
 それから恥ずかしい話ですが、防府(ほうふ)を「ぼうふ」と思っていました。
 
やはり由緒ある佇まいですね
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「春風楼」という雅な名称です
 
毛利のお殿様の思いが発端のようです
 
 
 
 
  
 
 
 
  花畑牧場 (北海道)
 
 花畑牧場は帯広にありタレントの田中義剛さんが牧場主です。
 特に田中さんのファンでは有りませんが、噂の「生キャラメル」を食べてみようかと思い立ち寄りました。
 以前、千歳空港で販売していた「生キャラメル」に、長蛇の列ができているのを見ましたが、並んでまで買う気にはなれませんでした。
 入場料は必要有りませんでしたが、「生キャラメル」は売り切れ ? とかで、残念ながら手に入りませんでした。
 やむなく似たような別の品物を求めましたが、昼食に「ホェー豚丼」を食べました。
 まぁ、普通に美味しかったです(^^)
 
素敵なネーミングですね
 
北海道らしくゆとりですね
 
 
 
 
 
 
 
いかにも北海道らしい風景です
 
 
 
 
 
 
  霧島神宮 (鹿児島)
 
 ♪~「花は霧島、タバコは国分」という訳で、鹿児島の霧島神宮に行って来ました。
 霧島神宮の主要施設は国宝ですが、あいにくと修理中でした。
 
寺田屋事件で傷ついた龍馬さんが、西郷さんの勧めで霧島に療養を兼ねて、おりょうさんと共に新婚旅行に来たそうです。・・日本初の新婚旅行と言われています
 
遥かに錦江湾が見えているんですかね・・
 
 
 
これはあいにくで、残念だったです
 
 
 
 
  
しかし賽銭箱はしっかりと・・(^^)
 
さすが「花は霧島」ですね
 
 
 
 
  釧路湿原 (北海道)
 
 道東に在る釧路湿原を訪れました。
 釧路湿原といえば丹頂鶴ですが、残念なことに今回見る事が出来ませんでした。
 然るべき時か、あるいは施設に行けば見られるのかも知れませんが、それ程の気にもなれず、湿原の雰囲気を味わうだけになりました。
 近くには道の駅「厚岸グルメパーク」が有り、ここもお気に入りの道の駅で、行けばよく連泊をします。
 その名の通り食べ物が美味しく、付属の入浴施設は有りませんが、近くに昔懐かしい銭湯があります。
  道の駅の写真は又後日掲載するつもりです。
 
長くはないようですが、遊歩道がありました
 
 
 
 
 
 
 
一応双眼鏡を覗いてみましたが、鶴は見当たらないような・・
 
 
 
 
 
 
 
湿原のイメージには合わない ? ような好天でした
 
 
 
 
  志高湖 ・  (大分)・・・旅の話9
 
 志高湖はちょうど別府と湯布院の間にある、大分県民なら誰でも知っている(はずの)高原の湖です。
 奥別府・湯布院の観光地としての人気は全国区で、常にランキングの上位を占めています。
 因みに旅情ミステリー作家といわれた故・内田康夫さんの著書に「湯布院殺人事件」を見つけました。
 旅情いろは歌作家の私としては(^^)、早速読んでみましたが、人気の浅見光彦シリーズでは無く少しがっかりしました。
 志高湖は歩いて散策もできますし、色々な施設や見所もあります。
 また、近くには夏は「10℃涼しい」とうたっているホテルやレジャー施設のある城嶋高原があります。
 
駐車場は無料です
 
 
 
歩いて湖を一周できます
 
 
 
 
 
以前は手漕ぎボートでしたが、スワンボートに替わっています
 
錦鯉が放流されています
 
春ですね(^^)
 
 
 
 
 
春休み中なので、結構な人出が・・・
 
 
 
 
  小田原城 (神奈川)
 
 秀吉の小田原攻めで有名な小田原城に行って来ました。
 これも又有名な北条早雲から五代百年に渡って、関東を支配してきました。
 小田原攻めのエピソードも多く、歴史小説でも度々登場してきます。
 その中でも私にとって印象的なのは、これまたあやふやで申し訳ないのですが、三代目当主(北条氏康)が言ったという言葉です。
 孫が食事をしているのを見た当主は「毎日食べている飯にかける汁の加減が分からず、何度もかけ直しておる。北条家はあやつの代で滅びるだろう」と言ったそうです。
 その言葉どおり北条家は五代(北条氏直)で滅んでしまいます。
 
 車中泊では明るくなると起きて活動を始めますので、小田原城ではまだ天守閣の入場開始前でした。・・・内部を紹介出来ず申し訳有りません。
 
  
 
 
 
 
 
 
 
     何故、歴史ある城内にこういうものを設置するのか分かりません
     ・・開館時間まで待たなかった理由の一つです
 
 
 
 
  錦帯橋と岩国城 (山口)
 
 岩国市の錦帯橋は「川を渡る龍のごとし」と言われている「日本三名橋」の一つだそうです。
 ちなみに「日本三名橋」は、確定したものではなく諸説あるそうです。
 
 確かに芸術的な橋ですね
 
左の山の上に岩国城が見えています
 
 芸術的な橋ですがやはり歩きにくいです
 
 
 
 
 
近くに岩国城が有るので行ってみます
 
ロープウェイの入り口近くです 
 
ロープウェイで到着です
 
 
 
 
 
 錦帯橋が見えています
 
 私が天守閣に登ると二人連れのオバさんの一人が、小学生の時に覚えがあるリコーダーを吹いていました。
 城に横笛なら良く似合いそうですが、リコーダーには少し驚きました。
 マァ、旅をしていると色々な人を見かけて楽しいのですが・・(^^)
 
 
 
 全く知りませんでしたが、中々立派な神社ですね
 
 
 
 この歌は我々の世代には馴染があります
 
巌流島での宮本武蔵との決闘で有名な佐々木小次郎の像です
      そういえば、岩国に関係があると聞いた憶えがあります
 
 
 
 
  夢の大吊橋  (大分)
 
 阿蘇を経て大分県九重町の「夢の大吊橋」へやってきました。
 この橋は何度も来たことが有りますが、四季それぞれに素晴らしいと聞いておりました。・・・ですが紅葉の季節しか来た事は有りません(^^)
 以前、九重町の議員さんからこの橋を計画するに当たっては、前述の宮崎の「照葉大吊橋」を大いに参考にしたと聞きました。
 
九重町の紹介板です。現役の頃、一時隣の玖珠町に勤務しておりました 
 
とても広い駐車場があり安心です 
 
例によって早朝の入場開始前なので誰もいません 
 
売店などの設備も充実しています 
 
 
 
 吊り橋の向かって左側の風景です
 
 
 
吊橋の左手には神社らしきものが・・ 
 
 
 
 
 
まだ行ったことは有りませんが、滝の展望所に行けるようです 
 
 
 
多額の費用もかかり、賛否両論が有った事が書かれています 
 
いよいよ橋を渡ります 
 
 
 
 
 
二つの滝を見る事が出来ます 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もうすぐ渡り終えます 
 
 行き当たりのこちらからも入場出来るようです
 
 また戻りますが秋の紅葉を堪能できました 
 
 今回の旅で二つの吊橋を訪れましたが、「夢の大吊橋」は入場開始時刻から大勢の人が訪れていました。
 駐車場も広く警備員も多く全体に活気が有りました。
 土曜日で紅葉シーズンという事も有りますが、宮崎の「照葉大吊橋」とは対照的でした。
 お断りしておきますが私は宮崎県も大好きで、日南海岸の風景や、高千穂などの山間部も多く訪れています。
 (ちなみに今回、大好きな道の駅「フェニックス」(掲載済)の食事処が閉鎖されていて、楽しみにしていた冷汁が食べられなかったのは残念です)
 ですが、こと吊橋に関しては「夢の大吊橋」が全てに勝っている感想を持ちました。
 
 
 
 
  雄阿寒岳 (北海道)
 
 以前、山頂の視界は3メートルでしたが、一応雌阿寒岳(日本百名山)登頂は果たしたので、今度は雄阿寒岳登頂を目指しました。
 ところが本のコースタイムを見間違えてしまい、2~3時間で登れる山と思いこんでしまいました。
 阿寒湖畔から登り始めましたが、中々○合目の数字が上がらず少しおかしいなと思い始めました。
 私は自宅ではほとんど毎日一時間程度の早足散歩をしていますが、旅に出て以来20日間程運動は全くせず、車の運転ばかりでした。
 そのせいか、加齢かは分かりませんが、体は重く膝まで痛くなり、何度も引き返そうかと思いました。
 
国道沿いの駐車場に車を停めて登山を開始します  
 
阿寒湖畔から登山が始まります 
 
途中樹林帯が長く展望はまるで期待出来ませんが、6~7合目から開けます 
 
 膝が痛くなり8合目まで私の脚で、4時間もかかってしまいました。
ここから頂上が良く見え無理をすれば登頂出来そうでしたが、これ以上膝に負担をかければ今後の日常生活にも支障が有るのではと怖くなり、無事之名馬、引き返す事にしました(笑)
 これは結果的には正解でした。 
 
登頂には二回降りて二回登り返すようです 
 
雄阿寒岳頂上、人の姿も見え流石に少し悔しいです 
 
 下山の2合目あたりで膝の痛みが益々強くなり、5分歩いては5分休むという情けない状態になってしまいました。
 最後は這う様にして車に戻りました(笑)
少し車で休憩して何とか道の駅「阿寒丹頂の里」にたどり着いて、温泉に入りました。
 ただ夕飯を食べる気力も無く、そのまま眠ってしまいました。
 雄阿寒岳登山は惨敗でしたが、加齢か準備不足の為か、気になっております。
 因みに膝は特に違和感は残りませんでした。
 なので、次は百名山の那須岳、広島の龍頭山を予定しています。
 
 
 
 
 
  天橋立 (京都府)
 
日本三景の一つ、天橋立です。
 
 
 
 
 
船や人を通すための旋回橋です。少し珍しいですかね 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 天橋立は名前からして素敵なので、かなり期待して現地を訪れました。
 しかしマァ普通の松林で、結構海岸の漂着ゴミが有りました。
 九州唐津の「虹の松原」もひどいゴミで(少なくとも私が訪れた時は)、幻滅したのを思い出しました。
 皆さんの中には有名な「股覗き」の写真が無いじゃないかと思われる方もいると思いますが、「股覗き」は数キロ離れた山上にある「傘松公園」で出来ます。
 ケーブルカーで登りますが、私が訪れた時はあいにくの雨で景観が望めず断念しました。
 その後、縁が無いまま現在に至っています。
 
 
 ・ 伊根の舟屋
一時、話題になった事もあると思いますが、普通の家は一階に車のガレージが有ったりしますが、ここは舟のガレージが有ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
  入浴  (旅のエッセイ)
 
 私は月単位の車中泊旅行の場合は、下着のセットを15枚程車に積み込みます。
 「ローカル路線バスの旅」では蛭子さんが、切羽詰まったら裏返してはくとか言ってましたけど、もちろん私は毎日替えます。
 半月程でコインランドリーで洗濯しますが、10年前に比べてコインランドリーは増えているような気がします。
 入浴はコロナ以前は可能な限り毎日でしたが、コロナ以後は浴場の閉鎖も増えていて、2日に1回程度を予定しています。
 浴場環境とコロナの関係は良く分かりませんが、なるべく人と離れて飛沫がかからないようにしています。
 ところがどこの浴場でも立って浴びるシャワーが有りますが、ある時オジサンの股間を洗った飛沫をもろに浴びてしまいました(怒)。
 私も若い女性の飛沫なら我慢もしますが(笑)、オジサンの飛沫はかないません。
 慌てて私もシャワーを浴びましたが、気をつけてもらいたい !!!
 (一部に不適切な表現が有ればお詫びします^^)
 
 
 
 
 
  男鹿半島 (秋田)
 
 男鹿半島は能登半島に比べると少しひなびた感じですが、その分より強く日本海の自然を感じます。
 当日は早朝でしたので、ガソリンの補充が出来なくてヒヤヒヤの半周ドライブでした。
 道は整備されているのですが、断崖絶壁も多く対向車も殆ど無いので、燃料切れは最悪です。
 何とか最後まで持ったのですが、「寒風山回転展望台」という名前からして魅力的な場所は次回以降になってしまいました。
 
南からの ドライブコースの入り口は巨大な「なまはげ」が迎えてくれます 
 
 早朝で開いていませんが、観光案内所も有るようです 
 
近くに「ゴジラ岩」が有るそうなのですが、見つけられませんでした 
 
 
 
 
 
それほどポピュラーでは有りませんが、突端の「入道崎灯台」まで足を伸ばしました 
 
 
早朝なので誰も居ませんが、入れるようなので結構な階段を登って上まで行きました。
でも寒い上に風も強いので、写真を撮って早々に降りました。
早く車に戻ろうと思ったら、おばちゃんから声をかけられました。
全く気が付か無かったのですが(本当です)、近くに料金所が有って丁度(運悪く・笑)おばちゃんが出勤して来たようです。
やむなく駐車場の車に戻り、財布を持ってきて料金(300円)を支払いました。
 
 
親切に残り段数を教えてくれます(^^) 
 
 
 
 
 
 
 
駐車場には我が愛車だけです
 
 
 
 
  竹生島・前編  (琵琶湖)
 
 「琵琶湖周航の歌」は旧制三高のボート部の歌ですが、とても好きな歌で「いろは歌」も作っています。
 そこで歌の歌詞にある竹生島を訪れる事にしました。
 ・・といっても竹生島は良く知らなくて、著書「いろは歌集」では「西国十番・長命寺」がある様に記して、恥ずかしい思いをしました(笑)。
 竹生島には今津と長浜からフェリーが出ているようですが、私は琵琶湖付近は道の駅「湖北水鳥ステーション」を定宿?にしているので、長浜から乗船することにしました。
 
 長浜のフェリー乗り場です 
 
 
船内風景。平日のせいか乗客はごくわずかです。自由旅の良いところですね 
 
30分程で竹生島に着きました 
 
選択可能なようですが、次の帰りの便は80分後位です 
 
 琵琶湖周航の歌の四番の歌碑が迎えてくれます 
 
乗ってきたフェリーはすぐに引き返して行きました 
 
フェリー乗り場からの風景 
 
島を一周できる遊歩道の様なものを期待しましたが無いようです  
 
左の通路から売店前を通り、拝観料(600円)を払って中へ・・  
 
まず宝厳寺を参拝しますが、いきなり結構な階段です 
 
 
 
ようやく着きました。フェリーは風で寒かろうと厚着をした私は汗をかきました 
 
 
 
 宝厳寺(ほうごんじ)本堂です。弁財天を祀っています  
 
 
 
 弁財天様ですからお賽銭(100円)を入れました(笑)
 
竹生島・後編へ続く
 
 
  竹生島・後編
 
 春霞の中、琵琶湖を渡って竹生島に来ましたが、仏教関係の施設が多く紹介しきれなくて、雰囲気をお伝えするだけになりました。
 まさに「仏のみ手に抱かれて・・」ですね。
 ただ、寺院も神社も有りますからWで有り難いです(笑)。
 
  
 
 この建物はテレビの紀行番組で観た憶えが有ります 
 
 桜前線は竹生島を通り過ぎたようです 
 
上から見た船着場です 
 
  
 
「ぼけ封じ」も出来て有り難いです(笑) 
 
 
 
竹生島神社入口です 
  
ミニミニ清水の舞台ですね 
 
 
 
 有難そうな佇まいの竹生島神社です 
 
 
 
 
 
 
 
拝観も終わり竹生島を離れます 
 
 
 
春霞の中、以前登った伊吹山(百名山)が見えます
 
 
 
 
  室戸岬 (高知)
歌で名高い室戸岬です。
地形の関係で朝日と夕日が眺められるという羨ましい岬です。
麓の浜にも展望所が有りますが、まずは小高い山の頂上にある灯台を訪れます。
車で行けますが、帰りにカメラの三脚を忘れてしまったのは痛かった。
 
  
開放感あふれる絶景です  
 
  
 
 
 
  
 
  
 
 「父さんが鯨を釣った」という岬の沖です 
 
 髭も伸びて見苦しい遍路です 
 麓の浜に降りると散策も出来ます 
 
 
  
  
 
 維新の著名人・中岡慎太郎像が設置されています
 
 
 [ 令和の旅 ]
室戸岬付近の太平洋の日の出です 
 
若き日の弘法大師が修行に励んだ場所という事です 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝早くからお遍路さんが歩いています。中々、歩いての遍路を実行できない私は
羨望を覚えます 
 
 道の駅「キラメッセ室戸」 宿泊したら車が海水を浴びた事もあります(涙) 
 
 付属の食事処です
 
 
 
 
  「錦鯉の里」(新潟)
新潟県の小千谷市にある「錦鯉の里」に行って来ました。
私は30年以上錦鯉を飼い続けています。
一度、錦鯉の月刊誌で見た30万円の鯉が欲しくなり、清水の舞台で電話をしましたが、数日前に死んだそうです(汗)。
かって新潟選出の代議士の庭池には、数百万円の錦鯉がゴロゴロしていたそうですが・・・。
 
 
 「泳ぐ宝石」とも言われています
 
 
 
 
 
錦鯉は買えないので、記念に錦鯉の絵皿を買いました
 
 
 
 
  平泉 (岩手)
 平泉は奥州藤原氏の都として栄え、世界遺産に認定されています。
 中尊寺や金色堂が有名ですが私は適当に見学し、堪能するまで静かな社域を歩き回りました。
 なので理由は忘れましたが、金色堂の写真も有りません(内部は撮影禁止だったかも知れません)。
 昼食はこれも有名な「わんこ蕎麦」を食べました。
 例のいくら食べられるかというものではなく、12個の椀がついた定食
です。
 少し心残りなのは、源義経が最期をとげたという「衣川の戦い」の跡を訪ねなかった事です。
(この後、不思議な津軽の「義経寺」を紹介します)
 
 
 
弁慶の名前が見えますね 
 
 
 
 
 
 私はこういうの大好きです(笑) 
 
 
 
 
 
 これが金色堂の建物だったと思います 
 
芭蕉の「奥の細道」のルート上ですね。有名な「夏草や兵どもが夢の跡」の句が有りますが、高校の時、担任が我々にテストを返却する時によく言ってました(笑) 
 
 
 
 
 
 
  義経寺 (青森)
 
 私たちは日本史で、源義経は衣川の戦いで藤原泰衡に襲われ、自刃したと習いました。
 ですが平泉から遥か青森県の竜飛岬の近くに義経寺というお寺が存在します。
 こんな所に源義経を祀るお寺が有るのも不思議ですが、話はまだまだスケールが大きくなります。
 義経は衣川から逃れて青森の竜飛岬から北海道に渡り、その後大陸に渡りジンギスカンになったというものです。
 義経を襲った藤原泰衡ですが、亡くなった藤原秀衡に義経を北へ逃すように言い含められていたという説もあります。
 義経の逃避行をなぞるように、そのルートには義経主従の伝説や言い伝えが残っているのも不思議です。
 私もその内の幾つかは見てみましたが、水戸の黄門様も「大日本史」の中で、義経死亡に疑義をとなえています。
 江戸時代から昭和まで激しい論争が有った様ですが、反対論者の「義経と成吉思汗では人物のスケールが違いすぎる」と言うのに対し、肯定論者の「秀吉が日吉丸の頃、ワシは将来日本を統一して朝鮮・大陸に攻め登ると言ったら、誰がまともに受け取るだろうか」というのも、説得力が有る様に思います。
 いわゆる「判官びいき」の一つかも知れませんが、いずれにしても、大変面白く夢のある話ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
義経は荒れ狂う海を鎮めるために、観音様に祈ったそうです 
 
 
 
 
 
 
 
 お寺は高台の見晴らしの良い場所にあります 
 
 
 
 
   旭山動物園 (北海道)
 
旭山動物園は旭川近くの動物園です。
閉園も検討されていたそうですが、全面的に見直しをして、日本でも 1・2を争う人気動物園となりました。私が訪れた日もご覧の入場者です。
私は冬にも一度、家族と訪れています。
  
園内は北海道らしく、ゆとりのある広さで、建物はお土産店です。
今までの様に檻に入った動物を見せるのではなく、できるだけその動物の生態を見てもらうということのようです。
旭山動物園の人気を見て、各地の動物園・水族館も相次いで取り入れています。
  
 
 
いわゆる "空飛ぶペンギン"で 、アクリルトンネルの上を泳ぎます 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人気のコーナーで、白クマが餌を求めてドバッ!!と飛び込みます 
 
 
 
一番感心しましたが、アクリルの円筒をアザラシが上下します 
 
 
 
名物となったペンギンの行進です (冬の訪問時)
 
 
 
 
 
   薩埵(さった)峠と丁子屋 (静岡) 
  (薩埵峠)
東海道には昔の面影を残した場所が、点々と有ります。
左の浮世絵は、安藤
(歌川)広重の「東海道五十三次」の「由比」
(由井)です。
左上に富士の絶景を眺める二人の旅人がいます。
  
 
ここは薩埵峠の同じ場所です。
写真ではわかりませんが、山影の向こうに富士山がうっすらと見えます。
下は国道と東名高速ですが、当時は東海道でも指折りの難所とされていたそうです。
 
 
 西方面の海
 
富士山と紺碧の海は、当時の旅人にとっても、大きなご褒美だったろうと思います。
 
 (丁子屋)    
 
同じく安藤広重の「鞠子(丸子)」です。山間の小さな宿場町でが、今もひなびた趣のあるこの宿場町の名物は、なんといってもとろろ汁です。特産の自然薯をすりおろし、白味噌の汁で溶いて、麦飯にかけて食べます。
 
写真は「丁子屋」といって、浮世絵のモデルでもあります。とろろ汁が食べられる名店で、慶長元年の創業だそうです。その美味は江戸時代にも広く知られており、かの松尾芭蕉も句を残しています。 
梅若菜丸子の宿の
     とろろ汁
 
  
私も大好きなので、早速とろろ汁を食べてみました。確かに大変美味しかったのですが、私も安心院町の出身で、子供の頃から良く自然薯のとろろ汁を食べていましたから驚くほどでは(笑)。
とろろ汁に合うという麦飯では無かったですが。
今は自然薯は手に入りにくく、旅先で買った事も有ります。

 

 絵で描かれている通りの茅葺屋根の外観も人気を呼んで、遠くから食べに来る客もいるそうです
(私もか・・)。
 
浮世絵の旅姿の二人連れは、「東海道中膝栗毛」の弥次さん、喜多さんがモデルという説が有力だそうです。

 

 
 
 
  襟裳岬 (北海道)
 
 歌などで有名な
 襟裳岬です。
   何故かこの岬が好き
 で、一番好きな岬かも
 知れません(笑)。
 
 
 襟裳岬・・令和の旅
 
    
  岩礁群 
  
   展望台 
 
 展望台よりさらに突端へ行けます 
 
突端へ続く道 
 
 突端からの展望 
 
 突端から海を覗く 
 
昆布(日高コンブ)を採っている人がいま 
   
岬の観光施設「風の館」 
  
 
  土産物屋
 
中に食堂「ムテキ」が有り旅番組で、かの蛭子氏が「強そうな名前だね」と言っていましたが、島倉さんの歌から来た
「霧笛」では・・。

 

 
 
 島倉千代子さんの
「襟裳岬」の歌碑が
 あります。
 
 
 「風の館」の中に展示されていました。大御所が揃っています。
 
  詞 曲 歌
  ・ ・ ・
  丘 遠 島
      倉
  灯 藤 千
  至   代
  夫 実 子 

 

 
吉田拓郎の「襟裳岬」です。岡本おさみの作詞を拓郎もとても褒めていました。
森進一ゃ上条恒彦の歌唱も味があって良かったですね。
 
 
 
   

  

 別の年の訪問。島倉さんの歌の世界でした(笑)
 
 
 
 
  永平寺 (福井) 
 
退職後、緩んだ精神を引き締めようと(笑)、福井県の有名な永平寺を訪ねました。
 
 
 永平寺は曹洞宗の大本山です。すごく閑静な趣の佇まいです 
 
やはり大規模な寺院ですね 
 
 永平寺というと私の中では、若い修行僧が早朝白い息をはきながら拭き掃除をしたり、滝に打たれて修行するイメージが有りますが・・・ 
 
流石に立派な建物です 
 

 

 
 
階段も立派ですね 
 
 
最後に案内の方が、色々話をしてくれました。
出来れば短時間の座禅
でもと思っていたのですが、出来ませんでした
(理由は忘れました)。
 
最後に何かの寄進をお願いされて、千円だけ寄進しました(笑)。

 

  
 
 
    三陸海岸
震災後、2・3年して
(日記をひっくり返せば、正確な日時は分りますが・・)青森側から南下しました。当時はどこもかしこも湾岸工事中でした。
そして道路沿いに津波浸水地点を示す標識が、たくさん設置されておりました。
 
 
道路に近い仮設住宅に
プレハブの店を見つけて寄ってみたのですが、開店前だったので買い物は出来ませんでした。
 
 
かなり南下しましたが、う回路も多く、ある地点で右折して中央部に戻りました。
本当は少しボランティアの真似事もしたかったのですが、自身の体力懸念と、少し気後れして実現できませんでした。
 
 
 
写真はきれいな三陸の
海と空ですが、場所が
どこか分からなくなり
ました(笑)。
 
 
 
 その後、1・2年して水戸方面から北上をしてみました。
この時は例の「福島第二原発」を見るつもりでいました。国道を北上すると標識もあり場所はすぐ分かりました。 
 右折していよいよ施設に近づいたのかなと思いましたが、遥か前からガードマンらしき人達が検問をしていました。
 流石に通してくれる訳も有りませんから諦めて、更に北上を始めました。
 国道からは原発施設の建物は見えませんでしたが、程なく国道の両脇に10キロ位廃墟が続いていました。
 勿論立ち入り禁止でコンビニやファミレス・ホームセンター・銀行等が看板もそのままに放置してありました。
 九州在住の私にとって東北大震災は少し遠い所の思いがありましたが、私達が良く知る名前の施設がそのまま廃墟になっているのを見て、改めて今回の事故の深刻・悲惨さを実感しました。
 今はあの廃墟施設等がどうなっているのか分かりませんが、当時は除染が難しかったのかも知れません。
 その後、各地の復興状況を見ながら更に北上しました。
 
 その後、令和4年4月10日に同地点を通過しましたが、ほとんど通常の景色に復興していました。良かったです。
 
 
 
 
    由布岳 (大分) 
別府の自宅からも近い由布岳です。「日本二百名山」に入っています
            私は訓練登山の場として、回数を憶えていない位登っています
 
鶴見岳とは隣り合わせです
 
 
     
  由布院市街
 
 
               頂上は二つあり、こちらは西峰
               鎖場が見えますが、訓練場で怪我をしたくないので(本当は臆病なだけ)、
               いつも比較的安全な東峰に登ります(笑) 
 
 
 
 
   東峰頂上
 
 
時折、下山は登ってきた比較的安全な登山道ではなく、東側の登山道を降りたりしますが、このような鎖場もあります。
 
 私は令和元年は年間4ヶ月程車中泊をして、20座以上の山に登りました。
 ところがコロナが私の心に暗い影を落とし(笑)、令和2年は車中泊も登山も無しでした。
 登山はコロナに対して比較的安全と思いますが、車中泊に伴う食事・入浴・トイレなど考えると、気持ちも萎えてしまいました。
 特に同年代の志村けんさん、岡江久美子さんが亡くなられた事はショックでした。
 ところが今年になってひょんな事から、同じ仕事をしていたNさんと一緒に由布岳に登る事になりました。
 Nさんとは前に三俣山に登った事が有りますが、とても私と同い年とは思えない体力です。満身創痍と本人は笑っていましたが・・。
 私は前回、由布岳を2時間で登っていましたが、1年間のブランクですぐへばり3時間もかかり、Nさんには迷惑をかけてしまいました。
 何とか登頂した後、登山口まで降りると児童救出で名を挙げたスーパーボランティアの大西さんが籠を背に(登山道のゴミ拾い?)、テレビスタッフと山に入ろうとしていました。
 何故か私と目が合い、照れた様な顔でニッコリ笑いました。
 私は震災後の東北でボランティアの真似事をしようと思っていたのに、結局は出来なかったのを思い出しました。
 
 
 
 
 耕三寺(広島)
 「西の日光」とも言われる「耕三寺」です。しまなみ海道の生口島に在ります
 ・東の日光東照宮(旅の話9
 
 この寺は金本耕三という方が、母の菩提を弔う為に、長い年月と私財 ! を投じて建立したそうです。寺院は各地の由緒ある有名な建築物を模して造られています 
 
 浄土真宗本願寺派の寺院で、本人も僧侶になったそうです 
 
東照宮の陽明門を模しているとの事です。「孝養門」といいますから
     母への思いを込めているのでしょうね 
 
 
 
 本堂は平等院鳳凰堂を模したものです  
   
 五重の塔 
 
 
 
「救世観音大尊像」
  
   
「 未来心の丘」 
 
 白い大理石を組み合わせていますギリシャ神殿を思わせますね 
 
まるでエーゲ海のような景観です。行った事はありませんが(笑) 
 
市街地も望めます 
 
境内はこんな落ち着いた雰囲気の場所もあります 
 
 これも見た事が有りますね 
 
私の知識では、よく分からない建物もたくさん・・ 
 
 極彩色の仏像 
 
 
 
 同上
 
なんだか艶っぽくないですか ? (笑)
 
 
 
紹介出来たのは一部です。興味のある方は是非・・
 
 私は宇佐市の出身で、宇佐神宮の朱色の建物は見慣れていますが、この寺院の派手さには驚きました。
 仏教施設といえばくすんだ感じの地味な色彩を思いがちですが、例えば宇治の鳳凰堂などは建立当時は、派手な色彩だったという番組を観た事があります。
 いずれにしても私財というのは驚きです。私なら織田信長の安土城を再建してみたいですが・・。  
 
 
 
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