富士登山

退職後一度はと思い天気の良い日を選び、富士登山を決行しました。前日は道の駅「なるさわ」に泊まり午後から富士山スカイラインを通って5合目の表富士宮口に着きました。自家用車の解禁日直後とあって一杯でしたが、運良く道脇の車の間にスペースを見つける事が出来ました。気圧の変化に慣れるためここで宿泊し、翌日5時頃出発しました。

  
まもなく朝日が登り5合目のご来光(笑)を拝み、写真に収めました
    その後、樹林帯を抜けるとジグザグの瓦礫道です
    幸い体調も良く、割と快調に登っています
    流石にこの人出で、外人さんも沢山登ってました 
 
 眼下に富士五湖を見ながらの登山、快晴です 
 
  頂上が近づくと沢山の山小屋があります。その脇を通り抜け、登山を続けます
    体調不良で山小屋に倒れこむと、三千円位取られるとか聞きましたので
  必死です(^^) 
 
 
 
 [登頂] 
 
無事に昼前に登頂出来ました。
大きな達成感があり、とても嬉しかったです。
 
 
    頂上は案に相違して沢山の店が並んでおり、当たり前ですが結構な値段で
      飲み物や土産物等を売っていました
      軽く持参の昼食を済ませ、更に最高地点の剣ヶ峰を目指します 
 
 剣ヶ峰には富士山レーザーの撤去(アメダスで不要に)跡の施設が残っており、
     ここが最高地点になります 
    
写真等で良く見る日本最高地点を示す黒い石柱が建っています。後の人が前の人の写真を撮ってあげる事を繰り返していたので、私も無事に記念写真を撮ることが出来ました。上天気の山頂はとても気持ち良く、気分も高揚し(驚いた事に携帯電話が使えたので)山好きの友人達に自慢の実況電話をしました(^^) 
 
それから30分程掛かるお鉢巡りの途中に、火口の底に降りてみました。
    白いのは残雪ですね 
 
富士山頂奥宮です  
 
 この期間だけの郵便局もあります !  
 
 
  高山病にかかることも無く、無事に下山出来ました。
 当時はまだ若く(笑)元気が残っていたので、五合目(写真)の沢山ある店で土産物を買いました。
 そしてまた道の駅「なるさわ」に戻り、近くの富士の絶景が望める温泉にゆっくり入りました。
 温泉からは夕方出発して夜通し登り、朝方ご来光を拝む大勢の人達のちらちらするヘッドライトの光の線が見えました。
 予てからの念願が叶い、感動の一日でした。
 
 
 
  今治城 (愛媛)・・・前編
 
 旅の途中にしまなみ海道の四国側の入り口に在る今治城を訪れました。
 城好きを自称する私ですが、実は今治城は初めてです。
 いつも、しまなみ海道に気を取られて、訪れそびれていました。
 今治城の関して私の知識は「江戸初期・藤堂高虎・お堀に海水を取り入れ海の魚が泳いでいる」位のものでした。
 今回、実際に訪れてみて、とても素晴らしい城でした。
 訪れた時間が良かったのか(早朝)、私にしては良い写真も撮れました。
 
早朝に今治城に着きました 
 
 
 
お堀を車で廻っていると有料駐車場が有りました。(1時間は無料だったと思います)
 
しまなみ海道の四国側の付根に位置しています
 
お堀の橋を渡り城内を目指します
 
大手門も立派です
 
城全体がとても端正な形をしていますね
 
城内に入りました
 
城作りの名手と言われた藤堂高虎 様です  
 
後編は「旅の話2」に掲載
 
 
 
 
  五稜郭 (北海道)
「はるばる来たぜ
函館~」という訳で函館にやって来ました。
ここは函館で海が最も綺麗に見えると言われる八幡坂です。映画のロケにも度々使われているそうです。
ちなみに冒頭の歌の北島三郎さんの母校・函館西高校がこの坂の上にあるそうです。
  
五稜郭は函館戦争で、榎本武揚率いる幕府軍が立て籠もった洋式城郭です。その中に有名な新選組の土方歳三がいます。35歳の若さで当地で生涯を終えています。五稜郭タワーの一階が土産物店になっていますが、グッズの写真をみるとかなりなハンサムです。若き日の自分を見ているようです、ははは(^^)
 
 
  函館市街 
 
 
   
 
 
  五稜郭全景 
 
 現在は公園となっています 
 
 日本に有る城郭とは思えませんね
 
 橋を渡って城内に入ります
 
かっての函館奉行所が再現されています 
 
散策にとてもよさそうです 
 
 
   
 
 
 
 
  函館山 (北海道)
北海道には空路で何回か来ていますが、函館は初めてです。青森港からフェリーに乗って、函館港が近づき船員さんに函館山を確認した時は、九州からの道のりを思い、感慨深いものが有りました。函館山へは車でもロープウェイでも登れますが、もちろん私は車です。
 
 
頂上に着きました。懐かしい小林旭さんと浅丘ルリ子さんの映画を思い出しました 
 
 夜ならば「100万ドルの夜景」と言われています。地形から独特の夜景になりますね 
 
 
 
 
  
 
 
 
  
 テレビ塔がたくさん有りました 
 
 
  
 
  
快晴でとても気持ちが良かったです・・
 
 
 
 
    知床岬 (北海道)
「知床の岬に ハマナスの咲くころ・・」の歌詞で始まる知床旅情は青春の愛唱歌で、「男はつらいよ」の「知床慕情」も印象に残っています。
知床半島の突端へは、森繁久彌さんの「知床旅情」の自筆歌碑がある「ウトロ」からクルーズ船に乗ります。
  流氷や老俳優の
     古き歌碑
  
   ウトロのゴジラ岩です・・なるほど 
 
船着場ですが、後に別のクルーズ船が悲惨な事故を起こしてしまいます
 
 
  クルーズ船 
 
クルーズ船の名前がオーロラ号だったので船員さんに「オーロラを見たことありますか?」と訊ねたら「30数年前に現れた事があるそうです」という事でした。
 
 
 
なんだ、いろは歌では小林旭さんの「熱き心に」が頭に有って、何時でも現れる様に作ってしまった(笑)
 
 
 クルーズ途中の滝です
 
   
 
  
    船は色々な所に接近します 
     
     天気も快晴でした 
  
     船は岬の突端沖でUターンします 
    
 「知床」はアイヌ語で「地の涯」を意味する言葉から来ているだけあって
           流石の大自然でした。 世界自然遺産にも認定されていますね
 
  
 

   吉野山 (奈良)

 吉野山は言うまでも無く日本一と言っても良い桜の名所で、山桜を始め数万本の桜が植えられています。桜大好きの私としては一度は訪れたい所ですが、一番盛りの時期の人出に恐れをなして、盛りを少し過ぎた頃行きました。近鉄の吉野口から少し上がると、地元のマイクロバスを乗り継いで頂上近くまで行けます。 頂上近くには西行法師の庵が有るのですが、寄らずに(後でとても後悔)頂上から6K程の道を歩いて下ります。 6Kといっても下り道なので何でも有りません。 途中はどこか懐かしい素敵な景色が続き、茶屋で名物の柿の葉寿司を食べました。 天気も良く道中とても快適で、金峯山寺にも参拝後、葛餅などを土産に買い帰路に着きました。 とても印象の良い所で、西行法師の庵を含め、もう一度行きたいと思っています。 

 

 近鉄の吉野駅から出発します 
 
 
 
 まず可愛いケーブルカーに乗ります 
 
それからシャトルバスに乗り込みます 
 
ここから登山を始める人も多い様です 
 
道幅のせいか、更に小型のマイクロバスに乗り替えます 
 
頂上付近に着きました 
 
後で行かなくて後悔した西行庵の文字が見えます  
 
 頂上にある神社、ここから下り始めます 
 
やはり盛は過ぎていますね 
 
 下りの途中にあった神社です 
 
 
 
 
 
 
 
 散策好きにはたまらない良い道でした 
 
 
 
 道の途中でこれから通る金峯山寺が見えました 
 
 普通の民家を茶屋にしています。ここで昼食に柿の葉寿司を食べました 
 
役行者が開いたという金峯山寺に着きました 
 
 
 
 流石に立派ですね。名前も立派ですし・・  
 
 
 
  
 
 
 
 
  
   
  日本百名山 
この日程で日本百名山を登ってみました。3日に1座ですが遠足登山クラスの山もあるので、自慢にはなりません。残雪の岩木山では危うく死にかけましたが余りに面目なく、ここでは記しませんが、後日気が変わって書くかも知れません(笑)
   
 
   [大山] 
 
鳥取県の百名山です。
山頂付近の崩落により
これ以上進めず、ここが頂上となります。
  
 
 [大山山頂]
  
大山は「日本百名山」の著者・深田久弥が表と裏側の崩落の対比が見事な山であると著書で述べています。
   
 
岩木山は青森県の百名山。五月でこの雪です。夏装備の私はここで登頂を諦めましたが、この後、"遭難" が起こります(^^;)    
 
蔵王山 は山形・福島にわたるスキーで有名な百名山です
       頂上付近に在る蔵王のシンボル「御釜」 
 
 蔵王の御釜はとてもきれいなグリーンです
 
 
 
 赤城山
 
群馬の百名山。
国定忠治のセリフで
有名な山ですね。
  
 
 
 伊吹山
 
滋賀県の百名山。
織田信長が設置した
「薬草園」で有名な山。 
山頂まで車でも行けます。
 
 
 
山頂の「ヤマトタケルノミコト」像。
 
  
後の百名山は後日
紹介する事も有ると
思います。
 
    (後日、登頂の山々) 
 
    月山
 
山形の百名山。
雪で断念した半年後の秋に登頂しました。
頂上には月山神社が
在ります。
 
   
 
  岩木山
 
青森の百名山。
 
あわや "遭難" しかけた山ですが、雪の無い秋にリベンジ
(^^)。

 

   [ 乗鞍岳 ]
 
 
 
 
    車中泊  (旅のエッセイ)
 
我が愛車も15万キロを越えましたが、一年車検の商用車だけあって、まだまだ元気に走っております。
後輪タイヤが小さく、荷台部分がフルフラットになり、大柄な方の私が大の字で寝られます。
  
 
車中泊の旅は暑い期間は大変ですが、寒さには登山用の寝袋やカイロなどで対応できます。
でも流石に山陰や信州での朝方の車内温度ー2℃の体験には驚きましたが・・・。でも懐かしい思い出です。
  
 
私は質素な人間ですが(笑)、時には贅沢をすることも有ります。写真は岡谷で食べた諏訪湖鰻
(多分)です。
 
 私が車中泊旅行を始めたのは、まもなく定年退職を迎える頃、ネットで若い女性が、ジムニー(四駆・軽)で車中泊をしながら日本中を旅するホームページを見つけたのがきっかけです。
 彼女は自炊をしながら、時には登山もして毎日の行動をネットにUPしていました。
 私はネットにUPはしませんが、娘さんでもやれるので私でも大丈夫だろうと思い計画を始めました。
 ただ自炊は面倒だし、調理器具・食材などで荷物が増えますので、食事は基本的に外食です。
 ですが道の駅は食堂が午後3~4時頃閉店という所も沢山有ります。
 そんな時は、道の駅に売っているパックに入った「おばあちゃんの作った○○」みたいな物が多いです。
 車中泊は落ち着くしトラブル回避の意味で、ほとんど「道の駅」です。
 その中でも宿泊に適した「道の駅」と、そうではない所が有りますので、おいおい紹介していきます。
 
 
 
   
    四国遍路 (四国4県) 
 
自宅の有る別府からフェリーで八幡浜に渡り、いよいよ遍路の旅の始まりです。 
  
私の「一番さん」は、第43番札所「明石寺」です。特に深い意味は無かったのですが、反時計回りで廻ることにしました。これは「逆打ち」といい、「順打ち」に比べ歩いて回るときつい道になり、その分ご利益が増すそうです。
車の私には関係有りませんが・・・。
 
明石寺では納経帳・杖・般若心経の小冊子等を買い求めました。
欲しかったのですが(笑)、白の装束は大げさなので買わずに、宇和島でそれらしい肩掛けバッグを買いました。
こうして私の四国遍路の旅は始まりました。
 ( 写真はあいにくの
   天気の明石寺 ) 
 
 写真は第37番「岩本寺」です。「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」という番組で、田川・蛭子氏と遠藤久美子さんがここを訪れていました。その番組の中で近くの「うな吉」という鰻屋さんに行くのですが、私も行ってみました。四万十鰻(多分)がとても美味しく、四国に行けば必ず寄るようになりました。
 
岩本寺の伽藍の天井には寄進された(?)、様々な絵画がはめ込まれています。
中にはマリリンモンローの似顔絵等があり、驚きます。
・・・仏教は懐が深い             ですね。
 
  [ 令和の旅 ]・・・岩本寺
令和の旅で何回目かの岩本寺を訪れました
 
階段の文字といい、天井画といい、このお寺は開けたお寺ですね(^^)
 
 
 
本堂です 
 
本堂内部です 
 
格天井に統一テーマの無さそうな数々の絵が嵌められています。どれもアマチュアの絵に見えます。私ももし10万円位であれば寄進してでも、絵を飾って貰いたかった (笑) 
 
 
 
この絵が一番「そぐわない」感じで目立ちますね。私はとても好きですが・・(笑) 
 
 
 
 
 
 
  
  [ 令和の旅 ]・・・「うな吉」
窪川に来ると楽しみにしている「うな吉」です 
 
ところがイルミも点いて「営業中」の立看板も有るのに休業中でした。えぇ~ (涙) 
   
 
写真は徳島の第21番札所[太龍寺」です。
寺は山の上に在り、歩いても登れるそうですが、ロープウェイを使います。
他にも何ヶ所か、ケーブル等を使う札所が有ります。
 
太龍寺に向かうロープウェイの中では、明らかに修行の足らなさそうなおじさん達が、「ケーブルカー料金×1日何人として・・・」と一生懸命計算してました。
賽銭をケチる私が人の事はアレコレ言えませんが、思わず笑ってしましました。
 
お賽銭は当初百円玉を入れていましたが、他に納経帳に揮毫が300円(全寺一律)、寺によっては駐車料金・ロープウェイ料金等が必要です。ケチな私は×88寺を考え途中からお賽銭を10円玉に切り替えました。小心者でもある私はなるべく人目につかない様に賽銭を入れていました(笑)。・・・(続く)
 
ところが、ある時賽銭箱に1円玉や5円玉が引っ掛かっているのを見付け、それからは胸を張って10円玉を入れる様になりました(笑)。お寺も心得たもので、10円に両替を用意している所も有ります。耶馬渓の素封家ふうの耶馬元さんも、何回か車で廻ったそうですから、今度賽銭はいくら入れたか聞いてみましょう(笑)。
 
 
ここが本当の「一番さん」で、ここから巡礼を始める人も多く、巡礼グッズも豊富に揃っております。
 
徳島ではもうお付き合いも長くなった、A新聞徳島支局に居たKさん(女性)とも旧交を温めました。Kさんは最近鹿児島支局を経て、東京に栄転(多分)しました。コロナに気を付けて頑張って下さい。
他にも学生時代の友人Mさんとも小豆島で会いましたが後日別章で・・。
  
 
第44番「大寶寺」が私の結願寺です。
 
結願の
  葉月の寺の
      石清水
 
 退職後、予てから念願だった四国八十八所巡礼の旅に出発しました。
 本当は歩いて廻りたかったのですが、主に宿泊場所が気になり、取りあえず車で廻ることにしました。
 歩きだと連続で一日どの位歩けるのだろうか、宿泊地がはっきりしないのに、現地で宿泊を断られたらどうしよう、という不安が有りました。
 そこで宿泊の心配が無い車中泊の旅にしました。
 四国遍路を続けていると、スタンプラリーの様な感覚になりますが、
88ヶ所から外れた寺は気の毒だなぁと思います。
 誰もピースの1つが抜けるのが嫌なので、88ヶ所の寺はほって置いても遍路さんが来てくれます。
 88札所を全て廻り終えて、信仰心の薄い私ですが般若心経の半分位、
唱える事が出来る様になりました(笑)。
 途中、国道などを汗と埃にまみれて歩いている遍路さんを見かけると、私にはご利益は少ないだろうななどと思いました。
 途中、名所旧跡も訪ね約二週間の旅となりました。
後日、高野山へお礼の報告に行きました。
 これも後日、「旅の話」で報告予定です。 
 
  
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